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「最古」陥落の丸岡城、国宝への意地

大型連休で長蛇の列ができた丸岡城天守=5月3日、福井県坂井市
大型連休で長蛇の列ができた丸岡城天守=5月3日、福井県坂井市

 戦国時代、一向一揆に対抗する狙いで、織田信長が柴田勝家のおいに築かせたとされる丸岡城(福井県坂井市)。「霞ケ城」の別名でも知られ、春に桜の中に天守(国指定重要文化財)が浮かぶ姿や、冬に雪化粧する様子も美しい。この名城に今年3月、悲報がもたらされた。天守は全国に現存する12天守の中で最古とされてきたが、その座を明け渡すことになったのだ。

調べない方が…

 坂井市などによると、丸岡城は天正4(1576)年、勝家のおい、柴田勝豊(かつとよ)が信長から「越前平定」の命を受け、拠点として築いたと伝わっている。徳川家康の天下統一後の慶長18(1613)年には福井藩の付家老、本多成重(ほんだ・なりしげ)が入り、寛永元年(1624)に福井藩から独立して丸岡藩が成立した。

 2重3階の天守は建築様式が「望楼型」、土台となる石垣は自然石を積み上げた「野面積(のづらづみ)」。戦国時代の古い形式であり、こうしたこともあって、天守の創建は築城時期と同じ天正4年説が通説となり、最古の天守とされてきた。

 しかし、市教委の4年に及ぶ学術調査の結果から、この説が覆った。

 市教委が3月に発表した調査結果によると、平成27(2015)年から行っていた調査で、天守の創建年代を割り出すため、年輪年代測定▽放射性炭素年代測定▽酸素同位体年代調査-の3種類の科学的方法を用い、天守に使われた木材を検証した。

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