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【御朱印巡り】長野・松本 深志神社 受験生に人気の文武両道の神

神社名の「深志神社」の下方には、梅をかたどった印章が押されている。菅原道真の「飛び梅」伝説に由来がある
神社名の「深志神社」の下方には、梅をかたどった印章が押されている。菅原道真の「飛び梅」伝説に由来がある
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 参拝者が本殿の正面に位置する拝殿に立ったとき、向かって右側に鎮座している主祭神が諏訪大社の主祭神でもある建御名方富命(たけみなかたとみのみこと)で、その左側には、親しみと敬愛の念をもって「天神さま」とも呼ばれる菅原道真公がおわす。

 2柱が本殿に勧請された来歴はそれぞれに異なっている。

 社伝によれば、信濃国の守護に任ぜられた小笠原貞宗が暦応2(1339)年、建御名方富命がたびたび夢に現れたことで、その分霊を迎え入れるために社殿を造営したという。「武の神」として篤い信仰を集めたとされる。のちに松本城の城下町が発展していくにつれ、産土神(うぶすながみ)=地域の守り神=として、尊崇の誠がささげられた。

 道真公は、貞宗の孫に当たる長基が応永9(1402)年、京都の北野天満宮から分霊を移して祭った。道真公は言わずと知れた「学問の神様」である。「深志(深い志)の天神さま」と称され、崇敬を集めた。

 建御名方富命のお宮は、祭られた土地が「宮村」だったのにちなみ「宮村宮」(みやむらぐう)と称され、道真公は、全国にあまねく広がっている「天満宮」だった。道真公が宮村宮の北側に移されたのは慶長19(1614)年。2柱が並び祭られたため、「宮村両社」「宮村神社」「深志天神」などと、さまざまな神社名で呼ばれた。「深志神社」と定まったのは、天保12(1841)年のことである。

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