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織田信長の革新性と限界 堺屋太一著『歴史からの発想』を読む

現代の諸課題へのヒントが詰まった堺屋太一さんの歴史エッセー『歴史からの発想』
現代の諸課題へのヒントが詰まった堺屋太一さんの歴史エッセー『歴史からの発想』
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 現代における生き方と未来に備える処方を見いだすための実用学-。今年2月、83歳で亡くなった作家で元経済企画庁長官の堺屋太一(さかいや・たいち)さんは、昭和58年刊行の自著『歴史からの発想』(現在は日経ビジネス人文庫)の中で、歴史を単なる知的興味の対象としてではなく、現代や未来の諸課題を解決するための知の宝庫と位置づけていた。約35年前の同書は、織田信長(1534~82年)の光と影を示しながら、現代の日本人の欠落部分をも指摘しており、傾聴に値する。 (文化部 花房壮)

「桶狭間」勝利の真因とは…

 常識的発想を超越し、新たな時代を切り開いた信長。商品取引の拡大円滑化を図った「楽市・楽座」や農業兼業の地侍たちを「兵農分離」によって銭で雇う専業の戦闘集団に変えたことはよく知られるが、堺屋さんの目に映る信長のすごみは、その柔軟な発想を行動につなげ、さらに組織内で多数の部下の納得を得たことにある-としている。

 その一例は1560年の桶狭間の戦いだ。約2万5000の今川軍に対し約3000の信長軍。「強大な今川軍にはかなわない」という通説が広がる中、信長軍は急襲に成功し今川義元(1519~60年)を討った。

 「桶狭間の勝利は、果敢な決断と総力を挙げての奇襲という戦術面ばかりが評価されているが、それはむしろ枝葉のことだ」と指摘。その上で、重要なのは「一人の裏切り者も出なかったことであり、織田軍の行動を今川方に通報する者が全くいなかったという事実である」と強調する。

 所領を拡大させた信長の既成概念にとらわれない発想は、「決して気まぐれではないことが(中略)多くの人々に理解され納得された」。これこそが勝利の核心だったというのだ。

目的のためなら…

 信長のユニークさは他にもある。「日本史のなかで、織田信長ほど自己の目的を明確に示した政治家は珍しい」。その象徴が「天下布武」。桶狭間の戦いで義元を討った信長は、「天下布武」の印章を用いながら天下統一に向け猛進する。そして「自己目的に実に忠実であり、すべてをこの目的に沿うかどうかによってのみ評価した」。

 強固な中央集権国家を構想し、その目的を達成するために動いていたような信長だが、必ずしも「既成概念の全面的破壊者ではなかった」と堺屋さん。足利将軍義昭を利用し、経済力に富む堺の自治を許し、無神論者でありながら日蓮宗やキリスト教の布教活動に便宜も…。これらは「彼の信奉する唯目的的尺度から見てプラスが多いと判断したからである」。

 直線的に目的を実現することだけにとらわれず、総合的に物事を吟味、判断する-。こうした点も信長の魅力のようだ。

人間性理解に限界

 能力主義を重んじる信長の人間評価項目の中で、門地や出生はもちろんのこと、過去の実績さえ重要ではなかった。重要視されたのは信長の目的に沿った機能を持っているかどうか、だった。長年仕えた重臣を処罰することすらいとわなかったが、一方で「全体的な人間性と社会の粘着性の把握を欠いた」。それは致命傷にもつながった。

 内部反乱もあった信長の生涯について、堺屋さんは「仮に(明智)光秀が信長殺害に失敗していたとしても、第二、第三の光秀が現れ、信長の寝首をかいたのではないか」と大胆な見方を記す。

 というのも、信長は明智光秀ら有能な人材が抱く「使い捨て主義」への不安に「無頓着であり過ぎた」からだという。

 信長のために身を粉にして働き、手柄をあげながらも、目的達成とともに「用済み」として破棄される-。かつては一枚岩を誇った織田家の中にも、やがて古参たちの間に不平と不満が充満していく。

 堺屋さんは「織田信長は、偉大な生産者、新製品の提供者ではあった」と評価するが、人間心理への洞察に欠けた、と指摘することも忘れない。

 一方で今でもさわやかなイメージがあり、特に若者に人気がある理由をさぐる。その答えは、信長の偉大さを象徴する新しいものの提供者である面こそ、日本人には欠けた部分だからである-と。

 本書には、信長論以外に、豊臣秀吉を支えた弟、秀長の生涯を扱った「不世出の補佐役」といった現代の組織人が読んでも示唆に富む論考が並んでいる。「当代日本における歴史の掘り起こしの達人」(歴史家の木村尚三郎)である堺屋さんの見た「戦国時代」。約500年前の社会には人間の生き方やリーダーのあるべき姿、日本の指針などを探る上でヒントがまだまだ詰まっている。

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