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【藤本欣也の中国探訪】ダライ・ラマなきチベット あふれていたのは“あの人”だった

 正面の壁に掲げられていたのは、宗教指導者ダライ・ラマではなく、中国共産党総書記である習氏の写真だった。

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 ダライ・ラマ14世は1935年、チベット・タクツェル村(現・青海省西寧近郊の紅崖村)の小さな農家に生まれた。この村は、日本の6倍もの面積があるチベット高原のちょうど東端に位置する。

 その後、当時のチベット政府に観音菩薩の生まれ変わりと認定され、4歳のときにチベット高原南部にある首都ラサ(現・チベット自治区ラサ)に移った。

 中国が50年代に武力によるチベット統治を進めると、59年3月10日、ラサで数万人のチベット人たちが蜂起(チベット動乱)、中国軍に鎮圧された。23歳のダライ・ラマは3月17日、ラサを脱出し約2週間かけてインドにたどり着き、亡命政府を樹立した。

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 玉樹市は、広大なチベット高原の中央付近に位置する。現在、外国人の立ち入りが厳しく制限されているチベット自治区に近い。

 玉樹市でまず目指したのはチベット仏教寺院だ。

 7世紀、この地を支配していた王国、吐蕃(とばん)に、唐王朝の王女が嫁いでいる。政略結婚だったが、当時はまさに、地の果てに嫁ぐ思いだったろう。唐と吐蕃の間につかの間の平和をもたらした、その王女、文成公主を祭ったチベット仏教寺院を訪ねた。

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