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令和によみがえる「豊臣の大阪城」基金2.4億円で

上空から見た大阪城本丸。右下の点線部が「石垣展示館」建設予定地(本社ヘリから)
上空から見た大阪城本丸。右下の点線部が「石垣展示館」建設予定地(本社ヘリから)
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 令和(れいわ)時代に、太閤の大坂城がよみがえる-。大阪市は、大阪城本丸(大阪市中央区大阪城)の地下に眠る豊臣時代の石垣を公開するプロジェクトをゴールデンウイーク明けにも本格的に着手する。高さ約6メートル、幅約8メートルにわたって石垣を掘り起こし、恒久的に観察することができる「石垣展示館」を建設する計画で、令和3(2021)年春のオープンを目指すという。(今村義明)

徳川幕府によって葬り去られた“豊臣城”

 大阪(坂)城は、天正11(1583)年から慶長3(1598)年にかけて豊臣秀吉が大坂(石山)本願寺の跡地に築城した。天下統一を象徴する城は、豪壮で華麗な「三国無双の城」とうたわれた。しかし、慶長20(1615)年の大坂夏の陣で豊臣氏が滅亡した後、徳川幕府によって破壊され、“初代大坂城”は地中に埋められて歴史からも葬り去られた。

 現存する城郭は、元和6(1620)年から幕府が新しい地盤の上に櫓(やぐら)や石垣、堀を新しく築いた。当時の城主は将軍が務め、将軍に代わって歴代の大坂城代が西国ににらみをきかせた“徳川の城”だった。

 ところが、昭和34(1959)年の発掘調査で、現在の本丸の地表から約10メートルの地下に火災痕のある石列が複数あることが発見された。

 また、昭和59年の発掘調査でも、豊臣時代の天守閣から南約70メートル、深さ1メートルの地中から、高さ約6メートルの石垣を発見。いずれも良好な保存状態だったが、調査終了後には埋め戻されている。

 大阪城は「豊臣秀吉の城」という印象が強く、現存する石垣を含めて豊臣時代の遺構とする間違ったイメージが観光客だけでなく市民の間にも根強く残っている。このため市は“豊臣の石垣”を掘り起こすことで、2つの城の存在を同時に見せることを計画。石垣の展示方法や展示館の規模などについて検討を重ねてきた。

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