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【萌える日本史講座】藤原種継暗殺の黒幕は藤原北家か 1種類の瓦から歴史推理

 平安初期に即位した嵯峨天皇ゆかりの平安京右京三条三坊五町の邸宅跡(京都市中京区)から、長岡京・乙訓寺(おとくにでら=現在の京都府長岡京市)と同形の瓦が出ていたことが調査団体の報告書から判明した。乙訓寺は嵯峨天皇の父で桓武天皇の弟で皇太弟でもあった、早良(さわら)親王が暗殺事件の罪を着せられて幽閉された所。しかも寺の位置が長岡京の右京三条三坊五町と、都は違えども平安京の邸宅と同じ住所という。長い取材経験の中でこれほどの因縁話にお目にかかったことがない。取材を進めていくうちに、さらに意外な話が舞い込んできたのだった。(園田和洋)

都は違えど同じ住所

 平安京の右京三条三坊五町には現在、島津製作所の三条工場が建つ。今回は工場内に施設を建設するのに伴い、京都市埋蔵文化財研究所が約4580平方メートルを発掘調査した。

長岡京の左京域から出土した建物跡。奥に湿地があり、土が黒ずんでいるのが分かる=京都市伏見区(平成31年2月撮影)
長岡京の左京域から出土した建物跡。奥に湿地があり、土が黒ずんでいるのが分かる=京都市伏見区(平成31年2月撮影)
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 その結果、大型建物を中心に計5棟分の建物跡が出土。いずれも平安時代初期の9世紀代の建物で、うち2棟は古くは平安遷都時までさかのぼれるという。

 この地は中世の地図などから、嵯峨天皇の皇子で源氏物語の主人公・光源氏のモデルとされる源融(みなもとのとおる)が嵯峨野に建てた栖霞寺(せいかじ)の領地だったことがわかっている。このため嵯峨天皇ゆかりの地とされる。

 そこから出土した乙訓寺の瓦は、単弁(たんべん)十八弁蓮華文(れんげもん)の軒丸(のきまる)瓦。当時、瓦は再利用されるのが当たり前で、島津製作所の調査地からは平城宮や藤原宮などで使われた瓦も出土した。

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