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30年前の3倍近くに 「平成ニッポン」の外国人受け入れ

 外国人労働者の受け入れ拡大を目指す新制度が4月から始まった。政府は「移民政策ではない」としているが、日本に住む外国人は平成30年末時点で273万人と、30年前に比べると3倍近くに増えている。間もなく平成が終わり、令和の新時代を迎えるのを前に、日本が外国人を受け入れてきた経緯を振り返る。(今村義丈)

始まりは留学生

 法務省によると、昭和54年に77万人だった外国人登録者数は、平成元年には98万人になった。要因の一つが留学生の受け入れだ。

 昭和58年、中曽根康弘内閣のもとで、当時1万人程度だった留学生を21世紀初頭にはフランス並みの10万人にする-という「留学生10万人計画」がまとめられた。同時に、原則禁止されていた留学生のアルバイトを「資格外活動」と位置づけて週20時間程度なら届け出不要とし、「解禁」する政策転換も行われた。

 今では資格外活動の法定時間は原則週28時間以内にまで拡大。「10万人」の目標は平成15年に達成し、20年に福田康夫内閣のもとで策定された「30万人計画」も30年末時点で33万7000人と、これも達成された。

 コンビニや飲食店で働く留学生の姿は、今や日常の光景になったが、問題も表面化した。酒田短期大(山形県酒田市)で13年、受け入れ予定の中国人留学生約260人が在留資格を満たしておらず、在籍の留学生もほとんど講義に出ずに首都圏で不法就労していたことが発覚。15年には、福岡市で学費や生活費を工面できなくなった中国人留学生2人が、強盗目的で一家4人を殺害する事件も発生。

 政府は入国審査を強化したが、今年に入っても東京福祉大の留学生が3年間で計約1400人も行方不明になっていた問題が発覚した。入管関係者は「学生を安易に獲得したい学校側と、金を稼ぎたい留学生側の思惑が合致し、不法就労や不法残留に結びつく事例は少なくない」と指摘する。

バブルと「デカセギ」

 第2の「波」が、昭和末期から平成初期にかけてのバブル景気だ。

 企業の人手不足を受けて当時ビザの相互免除協定が結ばれていたパキスタンやイランなどから出稼ぎ労働者が多く入国したが、一部が不法残留状態になって犯罪行為に関わるなど社会問題化した。

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