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【モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら】〈48〉「文化の盗用」なる概念

飛行機に乗り込むオバマ大統領=平成26年4月、羽田空港(三尾郁恵撮影)
飛行機に乗り込むオバマ大統領=平成26年4月、羽田空港(三尾郁恵撮影)
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エルビスが変えた米国社会

 ある大学で「ポピュラーミュージック論」と題した授業を持ったことがある。米国のポピュラー音楽の変遷を通して、米国現代史を見つめてみようという内容だ。「エルビス・プレスリー(1935~77年)が登場しなければ、オバマ大統領、つまり黒人大統領の誕生はなかったのでは」という仮説が根底にあった。

 米国最南部(ディープサウス)のミシシッピ州テューペロに生まれ、13歳のときに隣州のテネシー州メンフィスへ引っ越したエルビスは高校卒業後、トラック運転手として働いていた。ディープサウスに暮らす典型的なプア・ホワイトだった彼が親しんでいたのは、黒人音楽のリズム・アンド・ブルースだった。白人のこぎれいな音楽は、彼の心に突き刺さってこなかったのだろう。

 彼はリズム・アンド・ブルースと、プア・ホワイトの愛好したアパラチア山脈発祥のカントリー音楽を融合してロックンロールという音楽を生み出した。エルビス以前は黒人と白人が聴く音楽は截(せつ)然(ぜん)と分かれていた。彼の音楽はこの壁をいとも簡単にぶち壊し、白人青年が黒人音楽に耳を傾けるきっかけを作った。それは黒人の心の叫びや置かれた理不尽な状況を白人青年が知るきっかけとなる。こうして54年のエルビスの登場から55年後の2009年、米国史上初の黒人大統領が誕生する。私が講じたのはこんな物語だった。

 音楽と社会にまつわる話をもうひとつ。1986年、米国のシンガー・ソングライター、ポール・サイモンさん(41年~)は白人優遇のアパルトヘイト政策下の南アフリカに出向き、現地のミュージシャンを使って制作したアルバムを発表した。タイトルは「グレイスランド」。メンフィスにあるエルビスの邸宅と広大な敷地の名称である。

 国連による文化交流ボイコットの呼びかけを無視したポールさんの行動は世界中から非難され、一部の人間からは、「南アの音楽を搾取した」と糾弾された。しかし「グレイスランド」は、米国のみならず世界中でベストセラーを記録、同年度のグラミー賞最優秀アルバム賞を受賞した。

 ニューヨーク出身のポールと南アの音楽家たちが衝突しながら、スケール感豊かに融合したこのアルバムは、欧米以外の音楽への関心を高めただけでなく、政治的メッセージはいっさいないにもかかわらず、人々の目を南アへ注がせることとなった。

 南アは94年、同国史上初の全人種参加の総選挙によって選出されたマンデラ大統領のもとでアパルトヘイトを全廃した。「グレイスランド」が、アパルトヘイト全廃と直接つながるとは思わないが、その流れに棹(さお)さした、と言うことはできるだろう。

天使のまねは獣への道

 エルビスは黒人、ポールさんは南アの音楽を借用してこの世界を揺るがした。音楽を含む文化は、異文化からの刺激と借用によってより豊かになってゆくものだろう。ところが、昨今の米国では「文化の盗用」という概念が幅をきかせ始め、「文化の借用は悪」といった意見すら耳にするようになった。

 昨年、グラミー賞の主要部門を独占した歌手、ブルーノ・マーズさんに対して、ある黒人女性活動家が「非黒人のブルーノ・マーズが黒人音楽をやるのは文化の盗用だ」と批判を始めて大論争が巻き起こり、今年に入ってからは、親日家で日本語を勉強していた歌手のアリアナ・グランデさんが、新曲「セブン・リングス」にちなんで「七輪」という漢字を彫った手のひらの写真をインスタグラムにアップしたところ、「文化の盗用」と猛烈な非難を浴びた。

 「文化の盗用」とは、自分が属していない他の民族や人種の文化を表面的に借用する行為を指す。実際に問題となるのは多数派が少数派から借用するケースだ。非難の背景には、借用した側の誤解・誤読が借用された側に不快感を与えること、借用によって創作した作品の生む利益が、借用された側に回らないという搾取感がある。

 敬意と愛情を持った借用であれば「文化の盗用」とはみなされない、とはいうものの、誰も当事者の心中などわからない。へたをすれば、あらゆる借用が盗用と非難されることにもなりかねない。

 「文化の盗用」なる概念は、多人種・多民族国家であり、少数派を疎外・抑圧してきた歴史をもつ米国ゆえに、「少数派を救おう、不平等を是正しよう」という社会正義に発するものだった。ところが、「われは正義なり」と思い込むと、人間の言動はどんどん攻撃的かつ傲慢になってゆく。

 モンテーニュに多くを学んだ仏の思想家・自然科学者のパスカル(1623~62年)はこんな断章を残している。

 《人間は、天使でも、獣(けだもの)でもない。そして、不幸なことには、天使のまねをしようと思うと、獣になってしまう》

 「文化の盗用だ」と、正義感に基づいて他者を攻撃する人々がまさにこの「獣」ではないか。事態はそこにとどまらず、他者を攻撃したくてうずうずしている者に、攻撃するもっともらしい理由ときっかけを与えてしまった。そして彼らの手にはスマートフォンがある…。

 日本に暮らす私に、米国の少数派の苦悩が理解できるとは思わないが、「文化の盗用」なる概念は葬り去るべきだと考える。この傾向が強まれば、表現の自由は制限され、個々の文化はやせ細ってゆくに違いない。そもそも、人種的・民族的・宗教的偏見に基づく差別や対立の解消に、この概念が役立つとは思えない。逆に対立のないところに対立を生み出してしまう。差別や対立は、互いの文化の借用を通して徐々に緩和されてゆくものだろう。特効薬など存在しない。

 誤解や誤読、はたまた悪意のある借用で不快感を味わうこともあるだろう。それはそのつど抗議するしかない。搾取については、「盗まれたから分け前を」という情けない姿勢から脱し、「盗み返してもっといいものを創作してやろうじゃないか」という気概を持つしかない。「文化の盗用」と非難したところで、何も豊かにならない。

 ※パスカルの引用は前田陽一、由木康訳『パンセ』(中公文庫)によった。

       (文化部 桑原聡)=隔週掲載   

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