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【日本の議論】新元号「令和」 磯田氏「新たな段階へ」 八木氏「独自文化を再認識」

新元号「令和」を発表する菅義偉官房長官=1日、首相官邸(春名中撮影)
新元号「令和」を発表する菅義偉官房長官=1日、首相官邸(春名中撮影)
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 政府は1日、「平成」に代わる新元号を「令和(れいわ)」と決定した。645年の「大化」以降、248番目となる新元号の出典はわが国最古の歌集「万葉集」で、日本古典からの引用は初めて。新元号に込められた意義や世界各国へのメッセージなどについて、歴史家の磯田道史氏と麗澤大教授の八木秀次氏に聞いた。

 歴史家の磯田道史氏

 --令和は、初めて日本の古典を出典とした元号となった

 「令和は歌人の大伴旅人(おおともの・たびと)が最晩年の確か65歳だった天平2(730)年、『万葉集』の梅の歌をずらっと宴会で詠んだものの冒頭に置いた漢文の序文だ。『初春令月、気淑風和』の『令』と『和』は遠くにあるが、これを合わせた。俗用を避けるために相当苦労したのだろう」

 --世論調査でも令和は国民に受け入れられつつある

 「国民には『和』への安心感があるのではないか。俗用を避けるとの条件で決めると、いい言葉はほとんど人名や地名になっているので使えない。『令』は比較的、地名などは少ない」

 --国書を出典とした意義は

 「有史始まって以来、国内の書物から出典とした元号を定めたことは賛成だ。元号への態度は4段階を経たと考えている。中国の元号を使う段階があり、その次に中国の制度の干支(かんし)、つまり『えと』を輸入して使った。日本で元号は立てなかったが、中国の元号も使用しない中立的態度をとった。栃木県大田原市にある那須国造碑(なすのくにのみやつこのひ)という古い碑には、中国の則天武后が定めた年号『永昌』(689年)が書かれている。大陸の影響を受けた人たちも住んでいたので、中国の元号を使う人もいるという状況だったと思う」

 --その後はどうなったのか

 「この第1、第2段階が600年代ごろまでだが、自分たちで元号を作るという人たちが現れ、『大化』(645年)や『大宝』(701年)のころから独自の元号を使い始めた。これが第3段階だが、出典はあくまで中国だった。当時まだ万葉集はなく、日本国内で編まれた本はそれほどなかった。漢字2文字で元号を作るとしたら中国から持ってくるしかなかった。そして今回、出典も国書になり、1300年以上のわれわれの元号の歴史で4段階目に入ったといえる。過去に国書を理由に『この年号はよい』『悪い』と検討したことはあっても、出典にしたことはなかった」

 --令和は中国にも出典があるのか

 「中国の詩文集『文選(もんぜん)』に収められた張衡(後漢時代の政治家、詩人)の『帰田賦(きでんのふ)』に似たものがある。中国では、かつて自分たちが持っていた元号が日本に残っていることへのあこがれ、うらやましさがあるはずだ。両方とも出典とすれば、いま漢字文化圏で古典的な教養に基づいた行為を一番行っているという日本の文化を国際的に見せることができる。だから中国の出典も示すかなと思ったが、単独になったということだろう」(酒井充)

 いそだ・みちふみ 昭和45年、岡山県生まれ。慶応大学大学院修了。平成28年から国際日本文化研究センター准教授。著書に『武士の家計簿』など。NHKBSプレミアム「英雄たちの選択」の司会も務める。

     

麗澤大教授の八木秀次氏

 --新元号の出典は、日本最古の歌集「万葉集」で、日本古典からの引用は初めてだった

 「万葉仮名で記されている印象の強い歌集だが、新元号の出典元は『万葉集』巻五の『梅花の歌三十二首』の序文として書かれた漢文。日本の漢文の文化も層が厚く、そこからの採用は妥当だろう」

 --なぜ、万葉集だったのか

 「序文が書かれた時代の日本は、朝鮮半島の百済(くだら)を助けるために参戦した663年の白村江(はくすきのえ)の戦いで、唐と新羅の連合軍に敗れ、国家存続の危機に立たされた。だが、戦争を教訓に防衛を含めた改革を進めた結果、国家の体制基盤が強固となった。外患も少なくなり、高い文化が花開いた。国土防衛のために派遣された防人(さきもり)も停止できる平和な時代が訪れ、穏やかでのんびりした中で酒を飲み、和歌を詠じることが可能になった。新元号には、当時の状況とも重なる今日の中国や朝鮮半島の情勢を踏まえ、外患がなくなり、平和が訪れ、薫り高い文化が花咲く時代になってほしいとの願いが込められているように思う」

 --中国の一部メディアは、新元号が中国の古典(漢籍)に由来しなかったことに反発も示す

 「批判はあたらない。典拠となった序文が、『文選』にある『帰田賦』の影響を受けた可能性を指摘する声が、日本の漢文学の専門家からあがっている。有名な漢詩を踏まえて似たような表現の漢文を書くのが、当時の文人のたしなみだったことを踏まえれば自然なことだ。新元号は結果的に、日中両国の古典を典拠にしている」

 --新元号は政府によって世界各国にも発信された

 「中国で発祥した元号は朝鮮、ベトナムにも存在したが、いずれも廃止されている。今は日本でのみ使用されている独自文化だ。新元号の発表により、改めて日本という国が、古くからの伝統文化を大切にしている姿勢を世界に示すことができた。諸外国から評価された部分もあったと思う」

 --国内でも新元号の発表は高い関心を集めた

 「今回の新元号の出典が万葉集で、日本人にとって親しみのある文献だった点が大きい。また、序文が現代日本人が読んでも情景や思いが理解しやすかったことに加え、大和言葉には珍しい『ら行』の言葉が新元号に決まったことで、先進的な印象も強まり、関心を引いた。事前発表で祝賀ムードが広がった今回は、日本人自身も元号という世界に誇れる独自文化の意義を再認識したのではないだろうか」(植木裕香子)

 やぎ・ひでつぐ 昭和37年、広島県生まれ。早稲田大大学院政治学研究科博士後期課程退学。専門は憲法学などで、平成26年から現職。教育再生実行会議有識者委員、日本教育再生機構理事長などを務める。

 

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