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【映画深層】チャンバラの神髄を次世代へ 中島貞夫監督が描くリアリズム

映画「多十郎殉愛記」から。追っ手に狙われた多十郎(高良健吾)だが… ©「多十郎殉愛記」製作委員会
映画「多十郎殉愛記」から。追っ手に狙われた多十郎(高良健吾)だが… ©「多十郎殉愛記」製作委員会
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 日本映画伝統のチャンバラの面白さを次の世代に伝えたい。そんな思いを込めた。4月12日公開の「多十郎殉愛記」は、ベテランの中島貞夫監督(84)が20年ぶりに長編劇映画として取り組んだ時代劇だ。終盤30分にも及ぶ大立ち回りが見ものだが、「動きまくって、走りまくって、斬りまくって、斬られまくるという、チャンバラの本質から始めてみようと思った」と中島監督は話す。

(文化部 藤井克郎)

一種の芸術

 時は幕末。主人公の清川多十郎(高良健吾)は腕の立つ長州藩士だったが、親が残した借金から逃れるために脱藩し、今は京都の貧乏長屋で暮らしている。小料理屋の女将(おかみ)、おとよ(多部未華子)に世話を焼かれながら、静かに絵筆で生きたいと願っているが、取り締まりを強化していた幕府の組織、京都見廻組に目をつけられ…。

 斬り合う意志のなかった多十郎だが、時代の流れで刀を抜かざるをえないやるせなさを描くとともに、何十人もの見廻組との立ち回りに、最後の強敵、抜刀隊隊長の溝口蔵人(寺島進)との一騎打ちと、チャンバラ映画の魅力が詰まった作品になっている。

 「僕の師匠筋に当たるマキノ雅弘監督はじめ、チャンバラを完成させるために先人たちがどれだけ苦労したか。日本映画の特徴の一つとして大きなウエートを占める一種の芸術であり、それを今、われわれの時代に消え去らせるのは何とも許し難い。だから徹底したチャンバラ映画を1本作ろうと思った」と、中島監督は企画意図を語る。

 一番の問題は斬られ役だった。今回の映画の撮影が行われた時代劇の本場、東映京都撮影所には剣会(つるぎかい)という殺陣技術集団があり、全盛期には100人を超えるメンバーが日々、立ち回りの稽古に努めていた。

 だが中島監督によると現在、実践で動くことができるメンバーは10人程度で、それでは本格的なチャンバラの迫力は生み出せない。中島監督は、制作に携わったよしもとクリエイティブ・エージェンシーに持ちかけ、殺陣をやってみたいという若手所属タレントを募ることにした。

命のやりとり

 「そしたら60人近くが手を挙げた。そんなにはいらないから結果的に23人になったが、とにかくチャンバラの基礎から斬られるタイミングまで3週間、徹底的に養成してもらった。若いから、みんな本気で取り組むと何とか形になるんですよ。それと剣会の十数人を合わせれば、うまくいくだろうと考えました」

 こう笑顔で語る中島監督だが、東映に入社して京都撮影所で助監督として修業を積んでいたころは、時代劇に辟易(へきえき)していたと打ち明ける。全盛期ながらすでに形骸化していて、時代劇以外の脚本を書くなど、別の道を模索していた。

 結局、入社から5年後の昭和39年に「くノ一忍法」で監督デビューするものの、時代劇とはいえ、チャンバラのないお色気ものだった。その後も「893(やくざ)愚連隊(ぐれんたい)」や「まむしの兄弟」シリーズ、「日本の首領(どん)」3部作など、やくざもの、任侠(にんきょう)もので評判を取る。

 62年からは大阪芸術大学の教授として後進の育成にも尽力し、平成10年の「極道の妻(おんな)たち 決着(けじめ)」を最後に、長編映画から遠ざかっていた。だが年を重ねるにしたがって時代劇に対する思いが膨らんでいき、28年には時代劇が作られた背景やチャンバラの魅力などを考察したドキュメンタリー「時代劇は死なず ちゃんばら美学考」を発表した。

 「その随分前から、チャンバラをどうしたらいいかという考えがあって、いろんな資料に目を通した。今もチャンバラはショー的なものとして部分的に残ってはいるが、本質的なものからはどんどん離れていっている気がする。チャンバラの究極は命のやりとりなのだから、そこには本来、ものすごいドラマがあってしかるべきなんです」

いつ刀を抜くか

 脚本作りで最も気をつけたことは、主人公の人物設定だった。旧来の格式張ったヒーロー像ではなく、現代の若者にも理解してもらえるような身近な存在にしたいと考えた。

 「幕末には、もう武士がいやになったやつがかなりいたはず。時代の中で脚光を浴びる者だけがヒーローになっているが、そうじゃない人もいっぱいいた。後はそいつがいつ刀を抜くかということ。今回は侍のチャンバラをやったので、次は無宿者たちのチャンバラをやってみたい。同じ刀を振り回すのでも正式な剣法を習っていないわけで、そうすると刀を抜くきっかけも違うでしょうしね」

 ますます意欲を見せる中島監督だが、2月に亡くなった佐藤純弥監督ら同世代が次々と鬼籍に入っていくのは、「気がめいる」という。「だからって覆すわけにもいかないし、自分がやれることをやったらいいんでね。これが当たればもう1本くらいチャンスがあるかな」と笑う。

 「映画をずっとやってきて、しんどくてたまらなかったときもあれば、何をやっていいのかわからないという時代もあった。でも試行錯誤は無駄じゃなかったという気がする。もはや映画は古めかしいものかもしれないが、きちんと残せるかどうか、今が勝負だろうなと思っています」

 中島貞夫(なかじま・さだお) 昭和9年、千葉県生まれ。東京大学文学部を卒業後、34年に東映京都撮影所に入る。マキノ雅弘監督、沢島忠監督、田坂具隆監督らについて助監督を務めた後、39年の「くノ一忍法」で監督デビュー。やくざ、任侠、時代劇、文芸、お色気、ドキュメンタリーと多彩なジャンルをこなす。

 代表作に「893愚連隊」(41年)、「日本暗殺秘録」(44年)、「懲役太郎 まむしの兄弟」(46年)、「木枯し紋次郎」(47年)、「鉄砲玉の美学」(48年)、「実録外伝 大阪電撃作戦」(51年)、「やくざ戦争 日本の首領」(52年)、「真田幸村の謀略」(54年)、「序の舞」(59年)、「女帝 春日局」(平成2年)、「新極道の妻たち」(3年)など。昭和62年から大阪芸術大学教授、平成23年から立命館大学客員教授として後進の育成に尽力。また京都映画祭の総合プロデューサーなど、幅広く映画文化の普及に努めている。

 「多十郎殉愛記」は、4月12日から丸の内TOEI(東京都中央区)、横浜ブルク13(横浜市中区)、ミッドランドスクエアシネマ(名古屋市中村区)、梅田ブルク7(大阪市北区)、T・ジョイ京都(京都市南区)、T・ジョイ博多(福岡市博多区)、札幌シネマフロンティア(札幌市中央区)、MOVIX仙台(仙台市太白区)など全国で公開。

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