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漫画家、竹宮惠子さん “たくらみ”の半世紀

(C)竹宮惠子「風と木の詩」のジルベール
(C)竹宮惠子「風と木の詩」のジルベール
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 画業50年を迎えた漫画家・竹宮惠子さん(69)の足跡をたどる展示「竹宮惠子 カレイドスコープ」が川崎市市民ミュージアムで開かれている。少年同士の愛を描いた「風と木の詩(うた)」を少女誌に連載したように、常に革命的な作品を発表し続けた漫画家には、「したたかな策略」があったという。(文化部 伊藤洋一)

構想6年の執念

 漫画雑誌「COM」に昭和42年、「ここのつの友情」を掲載して以降、発表した漫画は180作品、2万6000ページに及ぶ。同展には、それらのカラー原画や資料など約150点が展示されており、その仕事量には圧倒される。

 3月9日に同美術館でトークショーを開いた竹宮さんは、「リンゴの罪」でデビューし、少女漫画の執筆依頼が相次いだ20代前半のもんもんとした日々を振り返った。同性愛や近親相姦、人種差別などをテーマにした作品(風と木の詩)の構想を、編集者に拒否されていたからだ。

 フランスの寄宿学校で退廃的な生活を送る美少年ジルベールと、正義感あふれる少年セルジュを中心にした内容を45年頃から約60ページ分、クロッキー帳にまとめていた。当時、タブー視されていた事象。どの編集者も「ウチでの掲載は無理です」。

 光が見えない中、ある編集者がつぶやいた。「ヒットを飛ばした作家には、何も言えない」。竹宮さんは、この言葉を逆手に取る。「それならばと、読者アンケートで1位を取ったら(風と木の詩の)連載を始める-という約束をとりつけたんです」。したたかな策略があったことを告白した。

 49年、古代エジプトを舞台にした「ファラオの墓」を「週刊少女コミック」で描き始める。連載71回の最高順位は2位だったが、同誌で51年「風と木の詩」の連載が決まった。執念は実った。

 「“見てはいけないものを見てしまった”という読者も多かったのでは」と当時の状況を笑いながら振り返る竹宮さんだが、「これを描けないと自分が漫画家になった意味を疑ってしまう状態だった」と情熱を語る。同作は連載が10年近く続く代表作になった。

 同展では、アイデア発想当時に描いた一部が展示されている。ほぼそのままのコマ割りで初回分として雑誌に掲載されたことが分かる。絵のうまさ、構想の巧みさには恐れ入るばかりだ。

私に続け!

 デビュー直後、竹宮さんは東京都練馬区の長屋で、漫画家の萩尾望都さん(69)らと共同生活を始めた。「大泉サロン」と名付け、“女性版トキワ荘”さながら競いあって作品を発表する中、出入りする編集者から「少年マガジン」など少年漫画誌で描くトップクラスの漫画家の原稿料を聞かされる。

 「少年漫画の約3分の1と知って、あぜんとした。『少女雑誌の10倍売れているんだから当然でしょ』といわれ、だったら売らなきゃ、と。少年漫画に負けない市場をつくろうと思った」

 少女雑誌向けに量産する一方、52年には「月刊マンガ少年」に「地球(テラ)へ…」の連載を始める。この作品は、テレビアニメ、劇場映画にもなり、男性読者を獲得していった。

 平成12年から教授を務める京都精華大学では、漫画原画の精巧な複製を作る技術「原画’(ダッシュ)」を開発した。原画をコンピューターに取り込み綿密に色調整を重ねたうえで印刷する。傷や汚れを修正する従来の複製原画とは異なり、描かれた当時の描線の濃淡、色彩の階調を細部まで再現できる。原画と見比べても見分けがつかないほどだ。

 年月とともに退色してしまうカラーの原画。それを見せられたファンや漫画家志望者はどう思うか…との考えから生まれた。根底には、漫画を広く伝えたいという思いがある。

 「いまの学生にも、何かを起こしたいムーブメントを感じる。期待している」と新たな才能の出現にエールを送る。

 竹宮惠子(たけみや・けいこ) 昭和25年、徳島市生まれ。43年「リンゴの罪」が週刊マーガレット新人賞に佳作入選し、デビュー。少年同士の愛をテーマにした「風と木の詩」は人間ドラマの傑作として少女漫画界に大きな影響を与えた。平成24年に日本漫画家協会賞文部科学大臣賞、26年に紫綬褒章。同年から30年まで京都精華大学学長。現在は同大大学院研究科教授で、日本マンガ学会会長も務める。

 「竹宮惠子 カレイドスコープ」 川崎市市民ミュージアムで4月14日まで。午前9時半から午後5時。3月22日と毎週月曜休館。一般800円、65歳以上と高校・大学生は600円、中学生以下無料。4月27日からは京都国際マンガミュージアムで開催。

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