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【正論4月号】天皇を守った英雄たち 明智光秀「本能寺の変」は義挙だった 評論家 宮崎正弘

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※この記事は、月刊「正論4月号」から転載しました。ご購入はこちらへ。

■歴史解釈の陥穽隠蔽された真実

 明智光秀は尊皇の武将だった。

 歴史は合理主義では合点がいかない神秘性を伴う特質があるが、現代日本人は気がつかない裡に戦後の怪しい歴史観に汚染され、洗脳されてしまった観がある。いやもっと正確に言えば、明智光秀に「主殺し」という汚名を被せ、秀吉がなした歴史改竄の誤謬に気がつかず、妄説から目覚めていないのである。

 現代日本人は進歩主義歴史観に洗脳されてしまったばかりではない。マルクス主義の階級史観や左翼の進歩主義史観の悪影響もさりながらもっと基本的な歴史解釈の誤りに基づいている。その典型が明智光秀への誤断であろう。

 世の中を蔽った、戦後の面妖な歴史観が基本的に間違いであることは言を俟たない。たしかにマルクス主義の進歩史観の悪戯も大きいし、GHQの「太平洋戦争史観」「東京裁判史観」の呪縛からもいまだに抜け出せないでいる。

 しかし、もうひとつ大事なことは現代日本人の学識の劣化、知性の頽廃。そして合理主義による歴史の裁断である。歴史をドライに合理主義で解釈することがそもそも誤謬である。歴史はロゴスで表現するものではない。歴史はパトスで動くのだ。

 したがって、日本人は長きにわたって、明智光秀の本能寺の変を「謀反」と決めつけ、「主殺し」の汚名を着せた秀吉の政治宣伝と、周囲の秀吉追随派によるその拡散、徳川幕府の追認を、さしたる反省や熟考もなく、長きにわたって受け入れてきた。

 戦国時代は下克上であり、主殺しが悪いとか、裏切りはよくないなどという認識は稀薄だった。朱子学的秩序が重視されるのは安定期に入った徳川時代からである。織田信長の世にあっては秩序を乱すことは常識でさえあった。松永も三好も、誰もが反乱、天下取りを考えていた。同盟者への裏切りは日常茶飯であり、往時の京は応仁の乱で荒れ果て婆娑羅大名が跋扈し、人心は荒廃していた。なにしろ室町幕府第13代将軍足利義輝は暗殺されたのである。

 現代の感覚で、外国人観光客に溢れる、整然と碁盤の目のように美しい京都を連想してはならない。往時の京は荒涼たる盆地に裏寂れた小屋がぼつんと並ぶ鄙びた場所、御所ですら雑草が生え、天皇家と公家は生活に困窮していた。となれば明智光秀の「本能寺の変」の真実が奈辺にあるかを求める真摯な探求が必要となる。

 それにしても日本の歴史学界の知的貧困たるや目を蔽うばかりだ。

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