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【関西企業のDNA・特別編】70年超の太陽工業(上) 自主独立のメーカー目指して

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太陽工業の手掛けたガラス繊維製の膜屋根で覆われたアメリカ館。アポロ宇宙船の実物などが注目を集めた=昭和45年
太陽工業の手掛けたガラス繊維製の膜屋根で覆われたアメリカ館。アポロ宇宙船の実物などが注目を集めた=昭和45年

 2025年大阪・関西万博の開催決定を受け、メディアなどで取り上げられる機会が多くなった1970(昭和45)年の大阪万博。当時、会場のパビリオンなどを彩った太陽工業(大阪市淀川区)の膜面構造物は、後のドーム球場といった恒久的な建築物に結実した。その牽引(けんいん)役が同社創立者の能村龍太郎(のうむら・りょうたろう、1922~2006年)だ。膜面素材の可能性を追求した企業家精神は社員らに受け継がれ、挑戦を続ける礎となっている。(栗川喜典)

エネルギーの源泉

 テント製造販売業者だった能村金茂の長男として、大阪市大正区に生まれた龍太郎。金茂は自転車のチューブを支柱に綿布で覆う構造のキャンプ用テントを開発するなど事業を拡大したが、先の大戦中の統制下で廃業を余儀なくされた。

 龍太郎は絵の才能をほめられたことから画家を志し、旧制中学校を卒業後、家業の得意先だった発動機製造(現ダイハツ工業)に勤めながらフランスのパリに留学しようとしたものの、敗戦後は生活のために断念。勤務先の同僚と結婚したこともあり、焼け残った大正区の借家と裏庭を事務所兼工場兼倉庫として昭和21年8月、前身の「能村縫工所」を創立した。

完成したアメリカ館(手前左)=昭和45年、太陽工業提供
完成したアメリカ館(手前左)=昭和45年、太陽工業提供

 ミシン1台とハサミ1丁しかなかったが、幼少時から父の仕事を手伝った経験から「なんとかなる」と考えた龍太郎。帆布を仕入れ、妻や近所の女性らとともに当時買い出しの必需品だったリュックサックを縫っては売りさばいた。

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