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【iRONNA発】改元 幻の幕末元号「令徳」の衝撃 後藤致人氏

 江戸時代、改元手続きの主導は事実上幕府にあったが、この元号を主導したのは朝廷だった。1862年の勅使の関東下向によって文久の幕政改革が進み、その後1863年、将軍と諸大名が上洛した。幕府は安政の大獄の失政を謝罪した上で孝明天皇に忠誠を誓い、天皇や公家に対する武家側の儀礼が朝廷を上位として改善された。改元に関しても、幕府側の露骨な介入がはばかられたのだ。

 ◆第2候補の「元治」

 1864年、甲子革令に基づく改元を行うとき、朝廷では「令徳」と「元治」が候補に挙がり、「令徳」が第1候補だとして、関白から幕府に内談があった。老中らは、「徳川に命令する」意味に解されるとして難色を示したが、老中からの申し立てはできかねる、と松平慶永に関白らへのあっせんを求め、第2候補の「元治」に決定したのだ。江戸幕府が相当苦慮していたことがうかがえよう。江戸幕府にしてみれば、「元治」もメッセージ性を含んではいるが、「令徳」だけは避けたかったのである。

 このように元号の歴史を考察してみると、「文久」と「元治」の間に、大きな政治的な変化があったことが分かる。1863年に将軍諸大名が上洛して以降、武士の間では「皇国帝都」という言葉が流行していた。つまり、日本は天皇を戴く国であり、帝のいるところが首都であるという考え方が広まっていたのである。

 こうしたことをかんがみれば、近代天皇制国家の出発は、必ずしも明治維新ではないのではないか。元号の歴史は、そのことを暗示しているといえよう。

                  

【プロフィル】後藤致人(ごとう・むねと) 愛知学院大教授。昭和43年、神奈川県生まれ。東北大大学院国際文化研究科博士課程後期単位取得満期退学、国際文化博士取得。著書に『昭和天皇と近現代日本』(吉川弘文館)『内奏』(中公新書)など。

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