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【昭和天皇の87年】闇に葬られた「桜会」の謀略 中堅将校に過激思想がみなぎった

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 事件の概要は、原田から西園寺に伝えられ、首相、内大臣、侍従長らの耳にも届いた。前代未聞の不祥事に、誰もが唖然(あぜん)としたことだろう。

 昭和恐慌で社会が疲弊し、政党内閣への不信と批判が渦巻く中、明治天皇の軍人勅諭で政治への関与が禁じられた軍人、それも参謀本部の中枢が政府転覆を画策した三月事件は、計り知れない悪影響を及ぼしたとされる。明確な軍紀違反でありながら誰も処分されなかったため、過激な中堅将校に「陸軍首脳も国家改造を望んでいる」「謀略を起こしても処罰されない」という、誤った認識を抱かせたからだ。

 戦前に大海軍記者といわれた伊藤正徳は、戦後の著書にこう書いている。

 「(三月事件は)日本の輝かしい歴史を暗黒の方向に変針させた第一歩として、張作霖爆死事件よりも深刻な意味を持つであろう。(中略)軍人の政治関与と暴力直接行動のスタートを切り、五・一五以下の相次ぐ乱行の教科書を書きおろしたからである」

× × ×

 もっとも、全体主義的な風潮は日本だけに限らない。すでにイタリアでは5年前の1926年、ベニート・ムソリーニ率いる国家ファシスト党の独裁体制が確立した。ドイツでは前年の1930年、アドルフ・ヒトラーの国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)が議会第2党に躍進、その3年後にヒトラー政権が誕生する。

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