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【昭和天皇の87年】覆された首相の決心 天皇は激怒し、辞表提出を求めた

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 ついに田中は厳罰方針を捨てる。関東軍の警備上の問題として、責任者を行政処分で済ます方針に切り替えたのだ(※5)。天皇に奏上したことを実行しないくらいなら、閣内不一致で総辞職するのがあるべき姿だが、田中はそれをしなかった。

 事件から1年余り、昭和4年6月27日、田中は最終報告のため参内した。昭和天皇実録が書く。

 《(昭和天皇は)御学問所において内閣総理大臣田中義一に謁を賜い、張作霖爆殺事件に関し、犯人不明のまま責任者の行政処分のみを実施する旨の奏上をお聞きになる。今回の田中の奏上はこれまでの説明とは大きく相違することから、天皇は強き語気にてその齟齬を詰問され、さらに辞表提出の意を以て責任を明らかにすることを求められる。また田中が弁明に及ぼうとした際には、その必要はなしとして、これを斥けられる》(16巻99頁)

 田中は、昭和天皇がこれほど激怒するとは予期していなかった。恐懼(きょうく)して落涙し、5日後に総辞職した--。(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1) 張作霖爆殺はソ連特務機関の犯行と分析したロシア人歴史家のドミトリー・プロホロフは平成18年、産経新聞モスクワ支局長のインタビューに答え、「ソ連犯行説」を詳細に語っている。しかし具体的な証拠に乏しく、信憑性には疑問が残る(雑誌「正論」平成18年4月号より)

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