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【昭和天皇の87年】お帰りなさい、我らが皇太子よ- 摂政就任の機は熟した

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 同年7月18日、すべての日程を終えた裕仁皇太子は、熱烈な拍手に送られて御召艦香取に乗艦し、帰国の途に就いた。

 1カ月半に及ぶ航海の後、千葉県館山湾に帰国した裕仁皇太子を待っていたのは、沿岸を埋め尽くした数万の国民と、湾内に響きわたる万歳の連呼だ。

 9月2日、御召艦香取は湾内に停泊し、翌3日午前、横浜港に入港。純白の海軍礼装姿の裕仁皇太子が上陸するのを、黒山の人だかりが固唾をのんで見守り、港内はしんと静まった。沈黙を破ったのは、意外にも外国人席から上がった「バンザイ」の一声である。その途端、堰(せき)を切ったように数万の群衆が万歳を絶叫し、日の丸の小旗が破れんばかりに打ち振られた。

 外遊中、国内の新聞各紙は裕仁皇太子の堂々とした言動と、それを好意的に伝える海外紙の論評を連日のように掲載していた。帰国した姿を一目見ようと集まった国民が、感激で胸を熱くしたのは言うまでもない。

 お帰りなさい、われらが皇太子よ-。翌日の新聞各紙には「御渡欧前よりも一層御快活」「一段と御立派」とする識者談話がずらりと並んだ。

 事実、裕仁皇太子は見違えるように成長していた。横浜駅から御召列車に乗り、東京駅のホームに降り立った裕仁皇太子は、皇族、元老、政府首脳、両院議長、各界代表者らが出迎える中、各国大使の前に自ら歩み寄って握手を求め、「貴国で絶大な歓迎を受けたことを感謝します」と言葉をかけた。

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