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【日本スプリントの挑戦(42)】飯塚翔太は何を求めてアフリカ遠征に行ったのか

エスワティニで指導する飯塚翔太さん(手前右から3人目)=豊田裕浩氏提供
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 トランクの取っ手には、使い終えたばかりの首枕が巻き付けられていた。10月1日午後8時すぎの羽田空港。他の乗客に交じって、陸上男子短距離の飯塚翔太(ミズノ)は、ふらっと1人で到着ゲートに現れた。

 飯塚が9月24日から8日間の日程で訪問してきたのはアフリカ大陸最南端の南アフリカと、その隣国、エスワティニ(旧スワジランド)だ。空港のある南アフリカのヨハネスブルクまで東京から直線距離で1万3500キロ超。香港経由で行きが計19時間、帰りは乗り継ぎ便の関係で、香港で8時間待ったため計24時間もかかった。

 それほどの長旅だったにも関わらず、27歳はさっぱりした顔で言う。

 「むしろ帰ってきて元気モリモリですよ」

 なぜ、2016年リオデジャネイロ五輪男子400mリレー銀メダリストは、日本人になじみの薄い土地に赴いたのか。しかもシーズンが終了する前に。

 飯塚はコーヒーショップのイスに座り、オレンジジュースでのどを潤すと、買ってきた土産の置物をテーブルの上に出しながら今回の遠征を振り返り始めた。

 高負荷の準高地トレ、予想外のテレビ出演

 自身初のアフリカ遠征には2つの目的があったという。1つはエスワティニ代表の男子短距離選手、シブシソ・マツェンジワとの合同トレーニングだ。

 3学年上のマツェンジワとは13年ユニバーシアード(ロシア・カザン)で同じ200mに出場し、知り合った。すぐに飯塚はマツェンジワにスポンサーが付いていないことを知る。決して恵まれているとはいえない環境、彼の競技への情熱。心を揺さぶられ、スパイクをプレゼントすると、マツェンジワはそのスパイクを大事に履き続け、16年リオデジャネイロ五輪に出場した。

 メールなどでやり取りを重ね、国際大会で会えば一緒に練習会場で走った。そうやって親交を深め、ついに、互いに希望していた合同トレーニングが実現したのだった。

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