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【昭和天皇の87年】大物右翼結集 皇太子妃内定解消の流れを覆した杉浦重剛の大和魂

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 こうなると、報道禁止のはずの新聞各社も黙っているわけにはいかない。当時、東京日日新聞で駆け出しの宮内省記者だった藤樫準二がこう振り返る。

 「(宮内省で)誰彼の区別なく『宮中事件?』で廊下をかけずり廻ったが、内容どころか事件の匂いもかぎ出せなかった。宮内省がこれほど厳秘にしていながら、社に立寄ったら政治部記者の情報で、この事件なるものは『東宮妃御内約をめぐって』の輪郭が、やっと浮び上がった…」

 明くる大正10年1月26日、読売新聞が「杉浦翁、憤慨して(東宮御学問所に)辞表を提出」と報じ、ただちに発売禁止処分となるも、新聞各社は見出しだけで「宮中某重大事件」、「杉浦重剛翁と宮相の道義上の意見衝突」と書き立てていった。

× × ×

 この事態に仰天したのは当時の首相、原敬だ。極秘に進めていた婚約解消の動きが明るみになることで、政治問題化することを恐れたのである。

 2月2日、原は宮相の中村雄次郎を官邸に呼んで言った。

 「本問題を長く未定の間に置かるゝは皇室の御為めにも宜しからず、又行政上に於ても如何にも憂慮に堪へざる次第なれば、何(いず)れとも速かに決定ありたし」(原の日記から抜粋)

 宮相の中村も、言われるまでもなく頭を抱えていた。杉浦の動きに呼応し、右翼国粋主義者たちが騒ぎ始めたからである。その名を挙げれば頭山満、杉山茂丸、内田良平、大川周明、北一輝…。まさに大物右翼そろい踏みだ。しかも彼らは、婚約解消は長州閥の勢力拡大を狙った山県の陰謀だと糾弾し、2月11日の紀元節にあわせ、右翼結集の大決起大会を開く計画を練り始めた。

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