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【昭和天皇の87年】君主国が次々崩壊… 卒業の春を迎えた皇太子に、皇国の命運が託された

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 軍務も増えた。

 同年10月31日《代々木練兵場に行啓され、天長節観兵式に天皇御名代として御臨場になる。進風(裕仁皇太子の愛馬)に召され閲兵を行われ、ついで分列式を御覧になる》(6巻174~175頁)

 この時の様子を、翌日の東京朝日新聞が伝える。

 「各隊将卒の捧刀捧銃に対し 一々挙手を以て応え給ふ英姿 一層颯爽(さっそう)として拝された」

× × ×

 揺れ動く国内外の情勢、気がかりな大正天皇の病状…。そんな中で裕仁皇太子は、7年に及ぶ東宮御学問所での帝王教育を終え、卒業の春を迎えた。

 10年2月18日《東宮御所において(御学問所の)終業式が行われ、本日をもって閉鎖となる》(7巻15頁)

 このとき、御学問所総裁の東郷平八郎が裕仁皇太子の前に立ち、噛みしめるように言った。

 「殿下におかせられましては、優秀の御成績をもって御修了あらせられ、加えて陸海軍の演習、諸地方の行啓など、実地の御見学も少なくなく、以て文武ともに将来御研鑽(けんさん)の基礎たるべき高等普通学科を御修得あそばされたのは、御学問所職員一同の感激したてまつるところであります。今後におきましても、政事軍事など実際の御見学以外に枢要なる高等学科を御修得あそばされ、以て益々御学徳を御涵養(かんよう)あらせられますよう、切に期待したてまつります」

 式場には、御学問所評議員で前東京帝国大学総長の山川健次郎、同じく評議員でのちに陸相を努める宇垣一成らに混じって、宮中某重大事件で御学問所を欠勤していた杉浦重剛の顔もあった。

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