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使命感と向学心に燃えた「台湾少年工」 戦闘機製造に従事 20日に記念式典

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 それでも、台湾で選び抜かれて内地で任務についたという自負と、「1機でも多くの戦闘機を戦地に送り出さねばならない」と考える使命感が、少年工を突き動かしていたのだろう。

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 昭和20年8月15日。台湾少年工も勝利を信じていた戦争は敗北。「半読半工」でめざした台湾少年工の向学心は夢と消えた。ただ、李氏はこのとき、敗戦のショック以上に「多数の少年工たちをどうやって台湾に安全に連れて帰るかが、まず頭にあった。とにかく冷静だった」と振り返った。

 台湾の出身地区ごとに組織を構築し、秩序を保って故郷をめざしたという。

 無事に台湾に戻った少年工たちも戦後、中国国民党政権の強権支配下で、日本軍に協力したなどと弾圧され、苦難が続いた。1987年まで38年間の戒厳令期に、正当な理由もなく投獄されたり銃殺されたりする元少年工がいた。「それでも厳しい時代を生き延びて、医師や企業家などとして成功するなど(元少年工から)人材が輩出した」と話す。

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 李氏らは87年7月に戒厳令が解除されてすぐ、88年に元少年工の同窓組織、台湾高座会を立ち上げた。

 李氏らが「10代に同じ釜のメシを食べた仲間との心のつながり、喜怒哀楽」を戦後もずっと忘れられなかったことの証左だ。李氏はいわば台湾高座会を代表する形で2013年春の叙勲で、日本政府から旭日小綬章を受章した。伝達式で李氏は、「日本は私たちを忘れなかった」と述べた。

 75周年を祈念する10月20日の歓迎大会も、もちろん日本が台湾少年工、その家族や友人たちを決して忘れていないことの証左だ。(台北 河崎真澄)

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