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【昭和天皇の87年】袁世凱の強烈なしっぺ返し 日本外交は窮地に立たされた

画=豊嶋哲志
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第一次世界大戦(2)

 「日本は支那に対して決して領土的野心を有する者に非ず。成るべく友誼的に相互の経済的利益を進めて行かうと云ふ趣意に外ならぬのである」

 大正4(1915)年1月、第一次世界大戦の最中に日本が行ったいわゆる対華21カ条要求について、ときの首相、大隈重信はこう弁明する。

 だが、当の中国はそう思わなかった。

 記述の通り21カ条要求は、1~4号14カ条の「要求条項」と、5号7条の「希望条項」からなる。このうち前者は、1号=山東省のドイツ権益の継承に関する要求4条▽2号=旅順・大連や南満州鉄道の租借期限延長など満州権益に関する要求7条▽3号=日本も投資する製鉄会社「漢冶萍(かんやひょう)公司」の日中合弁化に関する要求2条▽4号=中国沿岸部の他国への不割譲に関する要求1条-で、当時の国際情勢からみて、一定の理解を得られる内容だった(※1)。

 問題は、後者の「希望条項」5号7条だ。中国政府の顧問に日本人を採用▽警察行政への日本人の関与▽日本製の武器購入▽長江中流域の鉄道敷設権-などを求めており、内政干渉を疑われても仕方がない。

 外相の加藤高明は、この5号を駆け引き材料として、前者の1~4号を中国に飲ませようとしたのだろう。「要求」ではなく「希望」としたのも、外交戦術の一環だったことをうかがわせる。

 しかし、中華民国初代大統領の袁世凱は、加藤より役者が一枚も二枚も上だった。

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