PR

ニュース プレミアム

【昭和天皇の87年】東郷平八郎の教えと「王者の答案」

Messenger

 永積によれば、裕仁皇太子が起居する東宮御所内の御座所は和風2階建てで、1階に寝室、食堂、更衣室などがあり、2階に学友と共同の自習室があった。寝室には寝台が4つ、裕仁皇太子、東宮侍従、学友が2人ずつ交代で寝起きした。御所内に女性職員はおらず、いわば男子寮のような生活である。

 なお、3年に及ぶ在学中、東宮侍従らが頭を痛めていた問題がある。裕仁皇太子の近視と猫背だ。

 東宮侍従の甘露寺受長によれば、遠いところを見れば近視を矯正できるというので、教室の南面の樹木を切り払い、品川沖が見通せるようにした。また、姿勢を正しくするために、座板の両側に取っ手をつけた特製の椅子をつくり、そこに両手をかけて胸を張らせるようにしたという。

 だが、東宮侍従らの苦心惨憺(さんたん)も空しく、裕仁皇太子はやがて眼鏡をかけることになる。

 一方で裕仁皇太子は、学業成績は優秀だったようだ。

 ある日の歴史の授業、担当教授の白鳥庫吉が、こんな問題を出した。

 「仁徳天皇は、人家のかまどの炊煙が希薄なのをご覧になって嘆かれましたが、この時期、国家が疲弊していた原因は何だと思いますか」

 学友の一人は「洪水」と答え、別の一人は「飢饉(ききん)」と発言した。裕仁皇太子は、しばらく考えてから、こう言った。

 「一番の原因は神功皇后の三韓征伐(※2)、これが当時における国家疲弊の最大原因です」

続きを読む

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ