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【昭和天皇の87年】東郷平八郎の教えと「王者の答案」

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 裕仁皇太子が、撃沈までどれくらい時間がかかるのかと聞いた。

 「必ず短時間で撃沈いたしますでしょう」

 東郷は、その予測時間を明言した。そばで聞いていた東宮侍従の甘露寺受長は、距離もあり、風浪もあるのに、東郷の予測通りに沈むだろうかと興味津々だったという。

 訓練が始まった。砲声が轟(とどろ)き、海上を白煙が覆う。砲弾は次々に命中、たちまち壱岐は傾き、十数分で海中に没した。

 甘露寺が舌を巻く。「時計を検べてみると、総裁の言われた時間と二分も違っていなかった」

 東郷は、陸海軍の演習などにはいつも同行した。大正6年7月、御召艦の香取で山陰地方の海岸などを視察したときのことだ。

 あいにくの雨だった。雨具を着た裕仁皇太子は艦橋で、海岸の地勢や潮流を海図と見比べながら、東郷の説明を熱心に聞いていた。雨はますます激しくなり、裕仁皇太子の頬と東郷の髯(ひげ)を濡らした。周囲が中に入るよう勧めても、2人は艦橋から離れなかった。

 学習院時代の乃木希典は、しばしば裕仁皇太子に訓示した。一方、寡黙な東郷は自らの態度によって、将来の大元帥にあるべき姿を示したかったのだろう。

× × ×

 ところで、東宮御学問所で裕仁皇太子と机を並べるのは大迫寅彦、松平直国、南部信鎮(のぶしげ)、堤経長、久松定孝の5人。いずれも学習院初等学科時代からの学友だが、身分は「東宮職出仕」となった。このうち大迫は、先の大戦後に侍従次長を務める永積寅彦である(※1)。

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