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【昭和天皇の87年】皇太子を名君に… 大任は海の英雄、東郷平八郎に託された

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【昭和天皇の87年】
皇太子を名君に… 大任は海の英雄、東郷平八郎に託された

画=豊嶋哲志 画=豊嶋哲志

帝王教育(2)

 学習院初等学科を卒業した裕仁皇太子が進学する、東宮御学問所-。その創設は殉死した学習院長、乃木希典(まれすけ)の発案だとされる。

 乃木は、天皇に必要な資質として、陸海軍に君臨する大元帥としての一面を重視していた。しかし学習院中・高等学科には軍人志望以外の生徒も多く、軍事教育を行う環境ではないと考えたのだろう。

 乃木の構想では、生活指導や教育全般を担当する将官1人を主任とし、補佐の佐官2人、衣食住に関わる尉官3人を置いて御学問所を運営。学友は6~8人の少人数で陸海軍志望者に限るという、軍事的色彩の強いものだった。また、主任の将官は東宮仮御所内に居住するとされ、おそらく乃木自身が、その役を担う覚悟でいたようだ。

 だが、乃木は殉死した。その代わりに、乃木の名声に匹敵する人物として、元帥海軍大将の東郷平八郎に白羽の矢が立ったのである。

 東郷は当時66歳。すでに軍務の一線からは退いており、最後のご奉公の思いで大任を引き受けた。御所内に居住はしなかったものの、総裁に就任するや毎朝7時40分に出勤、学問所の運営に精励する。

 なお、宮内省の意向もあり軍事的色彩は弱められ、宮相となる波多野敬直が副総裁に就任したほか、評議員の一人に東京帝大総長の山川健次郎が選ばれた。

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