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【正論10月号】自民党総裁選三選の意義 これをやらずに何をやる 敵地攻撃能力 当たり前の“自衛”がなぜできない 軍事評論家 古是三春

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「必要最小限の措置」という言葉遊びで毀損されてきた自衛隊の活動と国益

 冷戦終結後以降の自衛隊海外派遣で惹起される憲法上の論争を振り返ると、ほとんどが「自衛隊の活動は必要最小限の措置にとどめる」ことで憲法上の規定(「戦争放棄」→「国際紛争における武力による威嚇または武力の行使否定」)をクリアするための不毛な「神学論争」としか言いようがない。

 「必要最小限の措置」といった「神学論争」が生んだ不明瞭な規定が、自衛隊の「実力組織」としての存在意義に直結する「武力行使」に大きな制約を課す根源となった。

 自衛隊に関わる「武力行使」と「武器使用」の規定は、前者が「目的達成のため命令系統に基づく指揮統制下に組織的に武器を使用すること」であり、後者は「個人の判断においてやむを得ない場合に(正当防衛的に)武器を使用する」と雲泥の差がある。「必要最小限」とは後者の「武器使用」が最も適合する概念で、国際規範で見れば軍事組織のレギュレーションとは言えないものだ。

 結果としてカンボジア、ゴラン高原、インド洋、イラク、南スーダンなどへの派遣活動で自衛隊は「必要最小限」という言葉が導き出した「武器使用」(更に詭弁としての「任務的武器使用」)に縛られ活動に制約と矛盾を抱えさせられてきた。

 例えば昨年から始まった国際活動での「駆け付け警護」任務の付与だ。これは一九九〇年代半ば以降、国連PKOがルアンダ大虐殺などに直面し「紛争の仲裁者」的役割にとどまらず、人命に関わる人道的事態が生じた際はPKO派遣部隊が武力行使を辞さずに介入、救援するという路線に転換したことが背景にある。

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