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【昭和天皇の87年】衝撃の伊藤博文暗殺 その凶弾は、日本を対韓強攻策に走らせた

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 これより2カ月前、伊藤は高宗が密使派遣などを画策しているとの情報をつかみ、高宗に警告していた(※1)。にもかかわらず事件が起きたことに伊藤は憤慨し、同時に危機感を抱く。

 〈韓国の独立を維持したまま近代化を進めても、韓国は再び国際騒動を起こすだろう。今回は各国から相手にされなかったが、今後の情勢次第では、日清日露に続く第3の戦争の火種にもなりかねない〉-

 ついに伊藤は、緩和政策を転換する。高宗を譲位に追い込んだ上、第3次日韓協約を締結、韓国の外交権だけでなく、内政権をも接収した。

 〈もはや韓国を併合するしか道はないのか〉-

 明治42年6月、伊藤は、失意のうちに統監を辞任した。

 ただ、後任には副統監の曽祢(そね)荒助を推し、併合はやむを得ないとしても、なるべく穏便に、慎重に進めようとしたようだ。

 伊藤は、併合後も韓国人による責任内閣を組織するなど、一定の自治権を付与する構想を抱いていた。もしもこの構想が実現していたなら、今日に至る日韓関係も、少しは違ったものになったかも知れない。

 しかし、一人のテロリストが、伊藤の構想を無残に打ち砕いてしまう。

× × ×

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