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【昭和天皇の87年】危うい朝鮮半島 伊藤博文は韓国を「世界ノ文明国タラシメン」とした

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 改革が進まない中、日本軍守備隊や大陸浪人、朝鮮訓練隊などが王宮内に乱入し、閔妃を殺害する重大事件が起きる。世界に悪名をはせた乙未(いつみ)事変だ(※3)。事件の背景や殺害の実行犯については諸説あるが、日本の全権公使、三浦梧楼が主導的に関わっていたことは明らかで、日本外交史上、最悪の汚点といえるだろう。

 事件後、国王の高宗はますますロシアに接近、混乱と危機が深まっていく。日露関係は緊張し、日本は国防上、ロシアと開戦せざるをえなかった。

× × ×

 日本が朝鮮半島の指導権を確立するのは、日露戦争に勝利してからだ。日本は明治38年、国号を「大韓帝国」にかえた朝鮮=韓国と第2次日韓協約を締結、その外交権を接収した。

 ただ、韓国外交を統御する初代統監となった伊藤博文には、韓国の独立までを奪う気持ちはなかった。

 伊藤は39年2月、韓国赴任を前にした立憲政友会主催の送別会で、こう演説している。

 「日本は日本の独立を保全する為め巳むを得ず彼れ(韓国)を保護するにありて決して害意のものにあらざるを知らしむるを要する」

 韓国の独立を維持するには、前近代的な政治社会と決別し、法治を根付かせ、文明国の一員となさなければならない。それが自分にはできると、かつて日本の近代化をリードした伊藤は思っていた。

 伊藤は赴任後、韓国閣僚との協議会でこうも述べている。

 「自分ノ此ノ地ニ来任セルハ韓国ヲ世界ノ文明国タラシメント欲スルカ故ナリ」

 この言葉に、偽りはなかっただろう。統監の職務は外交だが、伊藤は韓国の政治指導者らの協力を得て、内政改革に奔走した。

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