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【昭和天皇の87年】大帝崩御 偉大な祖父の尊顔を、皇子はまぶたに焼きつけた

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 雍仁親王が続けて書く。

 「このおじい様は、世間のおじい様が、眼の中に入れても痛くない、というような孫の可愛いがり方は、一度だってされたことはない。(中略)ただ、物心もつかないころから周囲の人々によって、先入主的に教えこまれた形式的の敬慕、といったようなものがあっただけである。いつわらないところは、むしろ『こわい』『おそろしい』といったものであった」

 「いよいよ御病室の近くに行くと、静かにと注意された。入口をまわって室の外、お枕の方からお辞儀をし、御様子を伺ったが、わずかに頭髪がやっと見えるくらいのものだった。実はおそろしくてそれ以上は見ようとしなかったのだ。断続的に、お苦しそうな声が聞えるのだから、いたたまれない気持でいっぱいで、もじもじしながら、なるべく眼をそらせて、しばらくそこに坐っていた」

 国民を赤子とする明治天皇は、肉親への愛情表現を極度に抑制するところがあり、皇女が参内しても会わなかったと伝えられる。年少の雍仁親王が、祖父に対して「むしろ『こわい』『おそろしい』といった」感情を抱いたのも無理はない。

× × ×

 だが一方、裕仁親王は、雍仁親王とは異なる感情を抱いたようだ。保母役だった足立孝が当時を述懐する。

 「(明治天皇を見舞った裕仁親王が)還御されるとき廊下の所でおむずかりになるんです。『どう遊ばしたんですか』と言うと、「きょうはおじじさまの御対面が短かった」とおっしゃる」

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