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【昭和天皇の87年】大帝崩御 偉大な祖父の尊顔を、皇子はまぶたに焼きつけた

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 慶応3(1867)年に14歳で即位した明治天皇は、極東の小国から世界の一等国へと急成長を遂げた近代日本の、大黒柱そのものだった。外は日清日露の戦役に勝利し、内は大日本帝国憲法を制定して法治国家となりえたのも、絶大なカリスマだった明治天皇の存在抜きには語れない。

 21日、新聞各紙が「聖上陛下御重態」と一斉に報じると、皇居の二重橋前には無数の国民が連日群がり、夜になっても去らなかった。

 宮殿には皇族や重臣らが入れ代わり立ち代わり参内し、明治天皇を見舞った。当時10歳の裕仁親王も、9歳の雍仁(やすひと)親王も、1日おきに参内した。

 のちに雍仁親王が、こうつづっている。

 「お見舞に参内するたびに僕らを驚かせたものは、七月末の炎熱下、二重橋前の砂利の上に坐って、幾百人、否、幾千人であろう人々が、天皇陛下の平癒を祈る姿であった。僕らは日ごろから、祖父上を肉親というよりは公人、天皇として偉い方だと考えるように習慣づけられていたのだが、この光景を見ては、これほどにお偉いのか、といまさらのように驚嘆の瞳を見開かないわけにはいかなかった」

 ただ、雍仁親王も述懐するように、明治天皇は「肉親というよりは公人」だった。病床の祖父を見舞う際には、複雑な思いもあったようだ。

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