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「戦争花嫁」たちの戦い 偏見と差別に苦しみながらの戦後73年

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 交流を深める中、大学で学んだ英語をすらすらと話す敦子さんに、アーノルドさんは米国の大学留学を提案した。大卒の女性にお茶くみや事務作業程度の仕事しかさせない当時の日本社会に疑問を抱いていた敦子さんも決意を固めた。

 「自分の可能性にかけてみたい」。27年、アーノルドさんの支援で米国へ渡航し、ニューヨーク州やテキサス州の大学に留学した。28年にアーノルドさんからのプロポーズを受けて2人は結婚。ただ、恋愛結婚とはいえ、敦子さんが結婚したのは戦争の傷の癒えない頃だ。ルーシーさんはこう語る。

 「母の実家は父を認めてくれたが、戦争花嫁の中には家族から『うちの敷居を2度とまたぐな』といわれて縁を切られた人もいたようだ」。敗戦後の貧しさから当時、進駐軍相手に水商売などで生計を立てる女性も存在したため、日本国内では「戦争花嫁」を差別視する風潮もあったという。

母への感謝と恩返し

 結婚後の米国での生活も決して平坦(へいたん)ではなかった。

 ユダヤ教徒同士の結婚を望んだアーノルドさんの家族の中には敦子さんとの結婚に反発する者もいた。地域によっては前列に白人、後列に黒人が座る差別的な慣習が常態化していた1950年代の公共バスで、日本人の敦子さんは「真ん中」に座るよう求められることもあった。

 路上で会った見知らぬ白人女性から「家政婦として雇うならいくらか」などと侮蔑的な言葉を投げかけられたり、白人住民が多く治安の良い地域に転居した際、不動産価値を下げる悪徳業者の仲間に間違われたりしたこともあった。

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