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【昭和天皇の87年】つかの間の家族団らん 「軍歌も唱歌もうたわれた」

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 戦前の天皇家には親子別離の慣習があり、家族で過ごす時間は限られている。ただし裕仁親王の学習院初等学科時代は、家族のぬくもりを感じる機会が比較的多かった。

 毎週2回、水曜の夜は嘉仁皇太子と節子皇太子妃が皇孫仮御殿を訪れ、土曜の夜は裕仁、雍仁(やすひと)、宣仁3親王が東宮御所へ行って、家族で食卓を囲んだ。

 夕食後は侍従や女官をまじえての団欒(だんらん)。節子妃のピアノ伴奏で皇太子が軍歌などを歌い、やがて子供たちも歌詞を覚えて、みんなで合唱するというにぎやかさだ。

 雍仁親王が振り返る。

 「食事が終わると、よく食堂のうしろのピアノのある室で合唱をした。母上がピアノを弾かれ、侍従、武官、女官に、父上も加わられて軍歌が多かったように思うが、唱歌もいろいろうたわれた。(中略)何しろ調子を無視して、蛮声をはりあげるのだから、真にやかましい、にぎやかなものだった。しかしこんな雰囲気は親子水入らずではないが、思い出しても楽しいものである」

× × ×

 ところで節子妃はこの頃、夫である嘉仁皇太子との関係や古参の女官との軋轢(あつれき)などに悩み、心に深い傷を負っていたとされる(※2)。追い打ちをかけるように44年3~6月、節子妃は腸チフスに感染し、治療のため神奈川県の葉山御用邸に隔離されてしまった。

 裕仁親王は手紙を書いた。

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