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【昭和天皇の87年】「男子は男子らしくなれ」 忠義一徹〝乃木式〟に賛否両論も

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【昭和天皇の87年】
「男子は男子らしくなれ」 忠義一徹〝乃木式〟に賛否両論も

画=豊嶋哲志 画=豊嶋哲志

 贅沢華美になりがちだった学習院に持ち込まれた、乃木式の質素勤勉教育-。それは必ずしも、生徒全員に受け入れられたわけではない。当時、学習院の一部生徒や卒業生らが文芸雑誌「白樺(しらかば)」を創刊し、のちに白樺派として文学界をリードするが、彼ら文学青年の多くは乃木に批判的だった。

 裕仁親王より3歳年長で学習院に在籍していた白樺派の一人、長与善郎は戦後の自伝小説の中で、乃木が学習院に持ち込んだのは上辺だけの質朴剛健だったとして、こう書き残している。

 「乃木さん自身は別に軍国主義を強制したわけではなく、誠意過多症と誰かが適評したごとく、信念に忠実なあまりの熱心さと、その最期が示す通りの激しい忠義一徹の純情とから、(中略)一寸したことも見て見ぬふりの出来ぬ、重箱の隅までほじくる干渉のやかましさとなったので、いわば古武士の悲劇的ドン・キホーテだったのだと思う」

 ただ、乃木は口で聞かせるだけでなく、自ら寄宿舎に寝泊まりし、質素勤勉を自身の態度で見せた。上辺だけでなく、心底感化された生徒も多かっただろう。

 裕仁親王もその一人だ。

 教員(唱歌担当)の小松耕輔によれば、消しゴムは豆粒くらいになるまで使い、鉛筆も1センチほどの短さまで使った。

 保母役だった足立孝(たか)が述懐する。

 「ある日、お帰りになって、『院長閣下が、着物の穴の開いてるのを着ちゃいけないが、つぎの当ったのを着るのはちっとも恥じゃない、とおっしゃるから、穴の開いてるのにつぎを当てろ』とおっしゃられて、私どもは穴のあいてる御洋服や靴下につぎを当てました」

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