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【昭和天皇の87年】学習院の空気一変! 新院長、乃木希典の超厳格教育

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 裕仁親王は、そんな学校生活を楽しんだようだ。

 41年12月2日の昭和天皇実録には、《未明に御吐逆あり、御朝食後も御吐逆になる。しかるに授業御欠席を肯んぜられず、御登校を御懇望につき例刻登校されるも、二時限までの御学習にて御帰還になり、直ちに御仮床になる》(2巻97頁)との記述もある。

 もっとも低学年の頃は病弱気味で、冬季は避寒のため静岡県沼津や同県熱海などに長期滞在した。学友も同じ避寒先で過ごし、裕仁親王と机を並べた。弟の雍仁(やすひと)親王、宣仁親王も一緒だ。

 「ご健康第一ということで転地をなさったのだと思います。時々風邪をお引きになられたし、それ程お弱いというのではありませんでしたが、頑強なほうでもなかったのでしょう。(中略)沼津で殿下と私共が学んだ所は、現在も残っております沼津御用邸の東附属邸ですが、その東附属邸の一部に私どもも泊まっていたので、三殿下のお学友四人ずつ十二人全員が揃った頃は、かなり賑(にぎ)やかでした」と、学友の永積寅彦(のちの侍従次長)は述懐する。

 一方、乃木が直接授業を行うことはない。乃木の役目は、日々時々に発する訓示だ。その言葉の一つ一つが、裕仁親王に大きな影響を与えることになる--。(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

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