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【昭和天皇の87年】学習院の空気一変! 新院長、乃木希典の超厳格教育

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 41年4月11日、学習院初等学科の入学式。約百人の新入生が整列する講堂の前列中央に、制服姿の裕仁親王がいた。

 開式後、乃木が厳かに教育勅語を奉読する。東京朝日新聞によれば、裕仁親王は教育勅語を「他の学生に劣らざる不動の姿勢もて終始整然と御直立」して聞いた。

 その健気(けなげ)な姿勢に、乃木は、将来の天皇の初等教育を担う自らの責任の重みを、再認識したに違いない。

× × ×

 ところで当時の学習院初等学科1学年は、東西2学級編成である。新入生となった裕仁親王は同学年の華頂宮(かちょうのみや)博忠王、久邇宮(くにのみや)邦久王とともに西組に所属した(※3)。クラスメートは12人。「華族以上ノ子弟ニシテ品行方正且家庭ノ正シキ者」から選ばれた。

 平日は4時限ないし5時限、土曜は3時限。時間割は以下の通りだ。

【月曜】(1)訓話または国語 (2)算術 (3)唱歌または遊戯 (4)国語 (5)手工

【火曜】(1)国語 (2)算術 (3)遊戯または唱歌 (4)国語

【水曜】(1)訓話 (2)算術 (3)図画 (4)国語 (5)唱歌または遊戯

【木曜】(1)国語 (2)算術 (3)遊戯または唱歌 (4)国語

【金曜】(1)訓話または国語 (2)算術 (3)国語 (4)唱歌または遊戯 (5)国語

【土曜】(1)算術 (2)遊戯または唱歌 (3)国語(※3)

 昭和天皇実録によれば、裕仁親王は毎朝8時前に馬車で登校し、《四時限の日は正午前に、五時限の日は午後二時前に御帰殿になる。(中略)御帰殿後は御学友が交代で出仕し、復習や運動・お遊びのお相手を勤める》(2巻70頁)のが日課である。

 ただ、1学年の11月以降は馬車をやめ、徒歩通学に切り替えた。質実剛健を重んじる乃木の方針だろう。

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