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【日本スプリントの挑戦】躍進を遂げた小池祐貴 火を付けたのは「日本最速の同い年」と「五輪入賞ジャンパー」との邂逅(かいこう)

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 結果、慶大にAO入試で合格。競走部の門をたたいた。勝負の世界に踏みとどまったのは、満足していない自分から目をそらせなかったからだ。

 「桐生にガチで勝って終わりたい」

 大学の選手寮では、部の主将でロンドン五輪代表の山県亮太と同部屋になった。山県は以来、競技を突き詰めようとする後輩を気に掛けていた。

 小池が言う。

 「山県さんには『もうちょっとで、こっち側に来られるよ』と声を掛けてもらっていたんですけど、その『もうちょっと』が何なのか分からなくて、1人で練習してました」

 大学1年の14年世界ジュニア選手権は200m4位、桐生らと組んだ400mリレーで銀メダルを獲得した。15年には桐生が100mで追い風参考ながら9秒87という驚異的なタイムをたたき出したのを横目に「『また、やられたよ』と思いましたけど、突破口を開いてくれるのは、ああいう奴なんだと納得する部分もありました。開けた扉があるなら、入っていかないと。差は高校から広がる一方だけど、タイムを上げて、自分のポジションも上げていかないと」と決意を新たにした。

 模索の時間は続いていた。

 筋肉の部位を一つ一つ意識して追い込み、良い走りの時はどこを使えているか探ったり、走り幅跳びの部員の助走を参考にコンパクトなフォームに取り組んだり。後にケンブリッジ飛鳥(ナイキ)も加わる米国のクラブに短期留学したりもした。

 だが、故障もあって、なかなか国内シニアのトップ、世界の舞台は遠かった。

 「そんなんじゃ速くならないよ」

 転機は大学3年、16年の年末。1人の男性との出会いだった。臼井淳一。男子走り幅跳び元日本記録保持者である。

 川合監督の仲介もあって、慶大の日吉グラウンドに隣接する施設で、トレーニングを見てもらう機会があった。小池はどんな意識で、どんな練習をしてきて、今どうしているかを語った。

 すると、臼井は、あっさりこう言ったという。

 「そんなんじゃ速くならないよ」

 ベストを尽くしてきたつもりだった小池は驚いたが、腹が立つことはなかった。好奇心と向上心が上回ったからだ。

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