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【人間爆弾「桜花」最後の証言】(5)生き残り特攻兵の願い 「戦友の追悼が人生の仕事」そして最後の願いは…

桜花隊の慰霊碑=茨城県鹿嶋市光の桜花公園
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 昭和20(1945)年8月15日。本土最終決戦に備え、元上飛曹の佐伯(旧姓・味口)正明(91)=愛媛県西条市=は、桜花搭乗員として茨城・鹿嶋の海軍神之池航空基地で後輩の訓練指導に当たっていた。

 空襲で宿舎も焼かれ、寝起きしていたトンネルを出た広場で玉音放送を聞いた。

 -朕は時運の趨(おもむ)く所、堪(た)へ難きを堪へ、忍ひ難きを忍ひ、以て万世の為に太平を開かむと欲す-

 「雑音がひどくてよく聞き取れなかったけど、これで終わったのか。悲しいよりも何かふぬけになったような気がして、天皇陛下は本当に存在していたのかとも思いました」

 九州進出第1陣に選ばれ、この年の1月4日、初めて上京したことを思い出す。靖国神社や明治神宮への出陣報告を兼ねた東京行軍だった。行軍といっても出撃間近でもあり、最後の東京見物であった。この時、初めて靖国神社に参拝し、宮城(皇居の旧称)の二重橋を訪れた。

 「みな、よく見ておくように。これが最後だぞ」と分隊長が声をかける。二重橋の写真に両陛下のお写真がはめ込まれている自宅の額縁と同じ光景を目の前にし、奇妙な気がした。天皇陛下は実際に存在しているかもわからない雲の上の存在であった。

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