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【人間爆弾「桜花」最後の証言】(4)沖縄陥落 迫る出撃「日本は勝ち抜けると本心から思うか」山岡荘八の質問に西田中尉は答えた…

神之池基地で撮影された桜花搭乗員の集合写真。後列右から2人目が佐伯正明上飛曹
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 昭和20(1945)年3月21日、一式陸上攻撃機に搭載された桜花15機が鹿児島の鹿屋基地を初出撃、160人が戦死するが、目標に到達することさえできなかった。それでも米軍が沖縄上陸作戦を始めた4月1日午前2時、濃霧の中、第2次桜花隊が出撃する。

 投下訓練の着陸事故で重傷を負った元上飛曹の佐伯(旧姓・味口)正明(91)=愛媛県西条市=は茨城・鹿嶋の海軍神之池航空基地で、九州進出を待ちわびる日々だった。しかし、4月14日に第2陣、18日に第3陣、26日に第4陣が九州に向かうが、どこにも佐伯の名はなかった。自分は死ねないのに戦友はどんどん出撃する。

 「いずれにしろ命がないのは変わりません。特攻というのは1人で何千人の乗員と航空機を巻き添えにして天下の母艦と心中する。どれだけ死に様としていいかという思いでした」

 神雷部隊(721航空隊)が九州転出後、龍巻部隊(722航空隊)が新たに編成され、追加補充された約200人が訓練を行っていた。

 4月30日、傷も癒え、ようやく復帰が決まる。その前夜、まだ少し左足を引きずりながら隊長の部屋を訪れ、長らくの休養をわびた。その時の隊長の言葉は今でもはっきりと耳に残っている。

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