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【昭和天皇の87年】遊び相手と戦争ごっこも… あらわとなった“名将”の資質

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 明治40年3月、沼津の御用邸西附属邸(旧川村純義別邸)に避寒で滞在していた時のことだ。嘉仁皇太子と節子皇太子妃が近接する御用邸本邸に来ることになったため、裕仁親王は門前で待っていた。しかし馬車が通り過ぎる時、皇太子妃とは目を合わせたが、反対側に座っている皇太子の顔を見ることができなかった。

 5歳の裕仁親王は、じっとしていられなかった。

 《(裕仁親王は)二、三歩前に進み出られ、「おもう様、おもう様、おもう様」と声を限りに呼びかけられる。それより皇太子に御拝顔のため直ちに本邸にお入りなることを希望されるも、側近に諫められ、一旦御帰邸の後、改めて(中略)本邸に参邸され、皇后並びに皇太子・同妃に御拝顔になる》(2巻14頁)

 裕仁親王は、久しぶりに会うおもう様(父)とおたた様(母)に、思いっきり甘えたかったのだろう。昭和天皇実録には、むずかる裕仁親王を皇太子と皇太子妃が優しくなだめる様子も描かれている。

 だが、やがて天皇となる身だ。甘えられる時期は短い。41年4月、裕仁親王は学習院初等学科に入学する。いよいよ帝王教育が本格的に始まるのだ。

 出迎えたのは、その前年に第10代学習院長となった日露戦争の英雄、乃木希典(まれすけ)である--。

(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載 来週からは、少年時代の昭和天皇が乃木希典と東郷平八郎の指導を受け、将来の天皇としての資質を磨いていく「帝王教育」編を連載します)

(※1)鬼事は鬼ごっこ、尻尾取りはズボンの後ろにハンカチをはさんで取り合うゲーム。裕仁親王のお気に入りだったという。

(※2)柳原愛子は明治天皇の側室で、裕仁親王の実の祖母。

【参考・引用文献】

○宮内庁編『昭和天皇実録』1巻、2巻

○田中光顕監修、長野新聞編『聖上御盛徳録』(長野新聞)

○丸尾錦作謹話「天晴未来の明君」(『聖上御盛徳録』所収)

○鈴木(旧姓・足立)孝謹話「幼稚園御修業のころ」(同)

○甘露寺受長著『背広の天皇』(東西文明社)

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