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【昭和天皇の87年】戦艦2隻が相次ぎ沈没 連合艦隊は底なしの悪夢に取りつかれた

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(※1)連合艦隊の編成直前、当時55歳の東郷平八郎は舞鶴鎮守府司令長官の職にあり、すでに海上勤務の第一線からは外れていた。連合艦隊司令長官には、常備艦隊司令長官の日高壮之丞が任じられると思われていたが、海相の山本は日高を更迭し、東郷にかえた。異例の人事であり、海軍内には当初、東郷の起用を疑問視する声も上がったという。一方、その頃の日高は健康を害しており、更迭は妥当だったとする見方もある

(※2)旅順港閉塞作戦で戦死した広瀬武夫中佐(死後昇進)はのちに軍神とたたえられ、杉野孫七兵曹長(死後特進)とともに文部省唱歌にもなった

(※3)伊藤正徳は戦前、時事新報の海軍記者として活躍し、戦後は共同通信理事長、日本新聞協会理事長、時事新報社長、産経新聞主幹などを歴任した

【参考・引用文献】

○軍令部編『極秘明治三十七八年海戦史』第1部3巻

○伊藤正徳『大海軍を想う』(光人社)

○栗田冨太郎『旅順閉塞回想談』(啓成社)

○小笠原長生『東郷元帥詳伝』(春陽堂)

○外山三郎『日露海戦史の研究〈上〉』(教育出版センター)

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