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【昭和天皇の87年】戦艦2隻が相次ぎ沈没 連合艦隊は底なしの悪夢に取りつかれた

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 開戦から3カ月たった5月中旬、東郷率いる連合艦隊は、底なし沼のような悪運に取りつかれる。

 同月12日、水雷艇48号がロシアの機雷に触れて沈没、14日には通報艦宮古も機雷で沈没した。

 翌15日未明、濃霧の中を航行中の巡洋艦吉野が後続の巡洋艦春日と衝突して海中に消え、艦長以下300人以上が犠牲となった。

 さらに同日、旅順封鎖の任務についていた第1艦隊の戦艦初瀬が機雷に触れて大破。数分後に戦艦八島も触雷し、両艦ともやがて沈没、約500人の犠牲者を出す。その後も17日までに駆逐艦など3隻が相次いで衝突、触雷、座礁した。

 わずか6日間で、主力の戦艦2隻を含む8隻を戦わずして失ってしまったのだ。

 連続する凶報に、海軍上層部が激しく狼狽(ろうばい)したのは言うまでもない。アルゼンチン海軍から購入したばかりの装甲巡洋艦2隻を充当し、何とか決戦力を維持したものの、これ以上の喪失は毛ほども許されなかった。

 このとき、悪夢の連鎖を断ち切ったのは、東郷自身である。連合艦隊の参謀らが食事ものどを通らないほど消沈する中、全責任を負うべき東郷のみは、いささかも動揺の色をみせなかった。

 沈没した初瀬、八島の両艦長が旗艦三笠に東郷を訪れ、号泣して謝罪したとき、東郷は静かに言った。

「御苦労だったね」

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