PR

ニュース プレミアム

【昭和天皇の87年】傷だらけの地上決戦 勝利の報に、幼い皇子も万歳した

Messenger

 地上戦のクライマックスである奉天会戦に勝利しても、日露戦争が終わったわけではない。ロシア側にはまだ、強力な切り札が残されていた。

 間もなく日本近海に姿をあらわし、日本のシーレーンを打ち破ると恐れられた世界最強レベルの大艦隊、バルチック艦隊だ。

 これを迎え撃つ大任を託されたのは、乃木と同様、のちに裕仁親王の帝王教育に深く関わることになる、海軍大将東郷平八郎であった--。(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1)奉天会戦当初における日本軍の兵力分配は、(1)新編成の鴨緑江軍(歩兵31個大隊・砲78門)と連携してロシア軍の左翼を牽制(けんせい)攻撃する第1軍が歩兵52個大隊・砲174門 (2)ロシア軍の右翼を主攻する第2軍が歩兵45個大隊・砲278門 (3)第2軍の主攻を支援すべくロシア軍の右翼に回り込む第3軍が歩兵41個大隊・砲174門 (4)敵の反撃や正面攻撃などに備える第4軍が歩兵43個大隊・砲252門 (5)第2軍の後方で待機する総予備隊が歩兵28個大隊・砲36門-という布陣だった。だが、第3軍以外の各軍が一歩も前進できない苦境に陥ったため、会戦後半の3月6日、満州軍総司令部は方針転換し、第3軍に総予備隊3個旅団を加え、主攻を託すことにした。もっとも予備隊投入の時期が遅すぎたため、ロシア軍を包囲、殲滅することはできなかった

【参考・引用文献】

○長南政義編『日露戦争第三軍関係史料集』(国書刊行会)

○旧参謀本部編『日本の戦史 日露戦争〈下〉』(徳間書店)

○大江志乃夫『世界史としての日露戦争』(立風書房)

○宮内庁書陵部編『書陵部紀要』第54号所収の「木戸孝正日記」

○永積寅彦『昭和天皇と私』(神道文化会)

○鈴木(旧姓足立)孝「天皇・運命の誕生」(文藝春秋編『昭和天皇の時代』収録)

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ