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【昭和天皇の87年】傷だらけの地上決戦 勝利の報に、幼い皇子も万歳した

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【昭和天皇の87年】
傷だらけの地上決戦 勝利の報に、幼い皇子も万歳した

画=井田智康 画=井田智康

 乃木は、たまったものではなかっただろう。遮二無二(しゃにむに)進撃したものの、死傷者が続出するばかりだ。しかも会戦終盤の3月7日夜、総司令部から「本七日に於ける(第3軍の)運動は頗(すこぶ)る遅緩なるを覚ゆ」との叱責まで受けるのだから、踏んだり蹴ったりである。

 多くの武勇伝を残した日露戦争で、乃木ほど損な役回りはあるまい。実はこの頃、第3軍以外の各軍は敵の堅陣に阻まれ、一歩も前進できないでいた。第3軍のみがボロボロになって前へ、前へと進んでいたのに、総司令部は8日にも「第三軍の猛烈なる攻撃前進を希望」する旨の督戦電報を送りつけている。

 一方、前進をやめない第3軍に仰天したのは、敵将クロパトキンだった。このまま包囲されれば全滅しかねないと考えたクロパトキンは、相当な余力を残していたにもかかわらず、ロシア全軍に北方への転進(事実上の退却)を命令。9日から総退却に移った。乃木と第3軍の孤軍奮闘が、図らずも世界最強陸軍国の知将をして、その判断を狂わせたといっていい。

 10日、日本軍は奉天に入城する。だが、城門に旭日旗を掲げる栄誉に浴したのは、第3軍ではなく第2軍だった。満身創痍(そうい)の第3軍はこのとき、さらに北方に達していて、退却するロシア軍を眼前にしながら、砲弾切れのため何もできずにいた。

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