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【昭和天皇の87年】壮絶!二〇三高地争奪戦 山頂は両軍将兵の鮮血で染まった 

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 12月5日、二◯三高地はついに落ちた。旅順港を見下ろす山頂には直ちに観測所が設置され、港内に停泊する旅順艦隊各艦を砲撃、その全滅をようやく確認できた。

 ここに乃木の第3軍は、その使命の大半を果たしたのである。

 だが、乃木の心は晴れなかった。この戦闘で1万6938人もの死傷者を出したからだ。その中には乃木の次男、保典も含まれていた。

 後備歩兵第1旅団の副官だった保典は11月30日、至近弾を浴びて戦死した。それを乃木が知ったのは12月1日である。

 翌2日、乃木は日記に、「東京ヨリリンゴ二箱送リ来ル。一ツハ保典ノ分ナリ」と書いた。この時の乃木の気持ちは、どんなものだっただろう。

 6日、占領したばかりの二◯三高地山頂に、黙然と立つ乃木の姿があった。

 どこを見ても、両軍将兵の死体が散乱している。それは、半年前に長男の勝典が戦死した南山の戦場より、凄惨(せいさん)だったに違いない。

 保典の遺品が届けられた11日、乃木は漢詩を詠んで日記に書いた。

 爾霊山(にれいさん)は険なれども豈(あに)攀(よ)じ難からんや

 男子の功名克艱(こっかん)を期す

 鉄血山を覆いて山形改まる

 万人斉(ひと)しく仰ぐ爾霊山(※2)

(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

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