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【昭和天皇の87年】壮絶!二〇三高地争奪戦 山頂は両軍将兵の鮮血で染まった 

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 二〇三高地--。この、海抜203メートルの名もなき小山は、日露戦争を象徴する激戦地として今も日本人の心に深く刻まれている。

 第3軍の編成当初、二○三高地は戦略的要衝とはみられず、陸軍中央が用意した地図に陣地すら書かれていなかった。

 ここを攻略拠点として注目したのは、海軍である。旅順港にこもるロシア太平洋艦隊を一刻も早く撃滅したい海軍は、二○三高地の頂上に観測所を設置し、山越えで艦隊を砲撃しようとしたのだ。

 第3回総攻撃で旅順要塞東北正面の攻撃目標を落とせなかった乃木が、主力の第1師団を二○三高地に突撃させたのは、せめてここだけでも取らなければ陸軍全体の士気にかかわると考えたのだろう。

 それだけに、11月27日から始まった二◯三高地の争奪戦は、熾烈(しれつ)を極めた。第3軍の砲兵部隊は28センチ榴弾(りゅうだん)砲をはじめ猛砲撃を行い、翌28日に第1師団の一部が山頂に達したものの、ロシア軍増援部隊の逆襲を受けて壊滅。以後、両軍は死傷も構わず次々と兵力を注ぎ込み、砲弾を撃ち込んだ。

 なお、この争奪戦には満州軍総参謀長の児玉源太郎が作戦に深く関与し、決定的な役割を果たしたとする説が根強いが、公刊戦史や一次史料を読み解く限り、その事実はない。確かに児玉は12月1日に第3軍司令部を督励視察し、乃木から指揮権を委ねられた。しかしすでに戦闘は後半戦に突入しており、作戦への関与は限定的だっただろう(※1)。

 主要攻撃目標を二◯三高地に転換したのも、28センチ榴弾砲を投入したのも第3軍司令官、乃木希典の決断である。

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