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【昭和天皇の87年】新兵器投入も総攻撃失敗… いよいよ乃木は窮地に立たされた

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 事実、28センチ榴弾砲の破壊力は凄まじかった。井上の日記には「我二十八榴の射撃は、効果大に現はれ、毎発命中して大破壊を行へり」などと歓喜する様子がしばしば出てくる。

 ロシア側も、この巨大砲の出現に驚愕した。旅順要塞司令官のステッセルはのちに、「此の砲の出現以来露軍の防御計画は全然破壊せられた」と語っている。

 その破壊力は、要塞を越えて海上にも及んだ。

 井上の同僚、第3軍参謀副長の大庭二郎も日記に書く。

 「廿八(にじゅうはち)榴弾砲は十月一日より発射し、毎日軍艦に命中弾を得しも、数日の後敵艦影を匿(かく)せり」

 もっともこの頃、海軍が恐れるロシアの旅順艦隊はすでに無力化していた。8月10日の黄海海戦で日本の連合艦隊に敗れ、大打撃を受けたからだ。かろうじて沈没を免れた各艦は旅順港に逃げ戻ったが、修復不能で以後は作戦行動ができなくなった。

 しかし、その事実を海軍が確認できなかったため、第3軍はさらなる出血を強いられることになる。

× × ×

 明治37年の晩秋、旅順の空に、再び戦雲が重く垂れこめた。乃木第3軍の一斉突撃、すなわち第2回総攻撃の日が近づいてきたのである。

 第1回総攻撃の失敗に学んだ第3軍は敵の堡塁近くまで着々と塹壕(ざんごう)を掘り進め、10月末には総攻撃の態勢を整えた。加えて今や、28センチ榴弾砲がある。

 だが、勝敗は運にも左右される。この頃の乃木は、とことん不運だった。

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