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【昭和天皇の87年】流血無残な第1回総攻撃 戦場は日本兵の死体で埋め尽くされた

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 なお、乃木の戦術について、前線の兵士の命を代償に無理攻めを繰り返した-とする批判が現在も少なくない。だが、第3軍の参謀日記など1次資料を見る限り、これは誤解である。

 第1回総攻撃で乃木がとった戦術は、事前に敵陣地を徹底的に砲撃、破壊してから歩兵が突撃する「強襲法」だった。

 この戦術は当時の陸戦の常識で、乃木は実際、一斉突撃の開始前に計約3万7千発もの砲弾を撃ち込んだ。井上の日記には、「(日本側の砲撃は)誠に壮烈の光景にして、恰(あたか)も(ロシア側の)堡塁、砲台は尽(ことごと)く粉砕せらるるかと感せしめたり」と記されている。

 井上ら乃木の幕僚は、「これなら強襲で要塞は取れる」と思った。

 ところが、「尽く粉砕せらるるか」に見えたのは周囲の外観だけで、堡塁本体には大した打撃を与えられなかった。陸軍中央が第3軍に与えた火砲の多くが、旧式の青銅砲だったからだ。

× × ×

 第1回総攻撃の失敗後、乃木は強襲法を捨て、敵の堡塁近くまで塹壕(ざんごう)を掘り進めてから攻撃する「正攻法」に切り替える。これに対し各師団の参謀長、工兵大隊長の多くは当初、正攻法では時間がかかるうえ、敵前で塹壕を掘れば被害が続出するとして否定的だったが、乃木は決然として戦術転換を指示した。

 乃木は無理攻めを繰り返したのではない。失敗に学んでいたのである。

 その乃木に9月上旬、強力な援軍が現れた。参謀本部から28センチ榴弾(りゅうだん)砲が送られてきたのだ。この巨大砲が、のちに日本の陸戦史を塗り替えることになる--。(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

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