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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(24)警察官の半数近くが朝鮮人だった 映画『望楼の決死隊』に見る実相

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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】
(24)警察官の半数近くが朝鮮人だった 映画『望楼の決死隊』に見る実相

映画「望楼の決死隊」に出演した原節子 映画「望楼の決死隊」に出演した原節子

 ■日本時代に刷新改善

 朝鮮で、近代的な警察制度が整備されたのは日本統治時代である。

 『25年 朝鮮は何を得たか?』(昭和11年、京城日報社編)にこうあった。《韓国(大韓帝国)時代における警察制度は、名あるも実なく、常に権門の手足となり…弊害百出混沌(こんとん)たる状態であった。(略)その後露、仏などによる顧問を聘(へい)したが、徒(いたずら)に政争の爪牙たるに過(す)ぎなかった。明治37年帝国政府(日本)より推薦せる警察顧問によって刷新改善を図り、ここに初めてその体をなすに至った》

 同書によれば、明治43年に107だった警察署は、昭和8年に251に。駐在所は、269→2334▽警察官数は、5694人→1万9228人(いずれも前記期間比較)と急増している。注目すべきは、朝鮮人警察官の人数が、全体の「4割強」(昭和8年)を占めていることだ。総督府の役人の数も約半数を朝鮮人が占めている。彼らの目を盗んで)、同胞の少女を慰安婦として無理やり連れ去ることなどまず、できなかっただろう。

 キャリア官僚として朝鮮総督府に入った古川は、警察畑が長かった。主に警備・公安畑で活躍し、道の警察部長のほか、政治犯や防諜を担当する総督府警務局の保安課長、メディアの検閲などを担当する図書課長も務めている。

 昭和13年発行の『ヂャーナリズム時代の部隊の戦士』〈話題の人〉に、図書課長時代の古川の人物評が載っていた。《血の気が多い…総督府内きっての革新派…次のイスは道知事か警務局長か…》と。

 古川は、朝鮮人の登用に積極的な官僚だった。次男の武郎(たけお)(80)のもとには、平成元年に古川が重用した朝鮮人警察官が亡くなったとき、息子から届いたお礼の手紙が残っている。「父の日記には、故古川殿と友子様(さま)(古川の妻)の数々の思い出があふれていました。1934年に古川殿とお付き合いを始めて、親子関係よりももっと深い思いやりであった、と書かれていました…」

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