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【昭和天皇の87年】家族愛でも国民の模範に… 養育担当者の早すぎた死

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 未来の天皇としての素養を磨くとともに、家族愛でも国民の模範となるような人間性を育もうとした川村の親王養育。しかし、長くは続かなかった。川村が腎臓炎を患い、日に日に悪化したのである。

 36年の晩秋、川村の長男、鉄太郎が東宮大夫のもとを訪れ、「(父の病は)不治のものと覚悟いたしました」と伝えている。精魂かけて親王養育に打ち込んだことが、寿命を縮めたのだろう。

 翌37年8月12日、裕仁親王3歳の夏に、川村は東京の自宅で死去した。享年六十八。明治天皇は川村家に祭資金を下賜する沙汰書を出し、長年にわたる海軍での功績をたたえるとともに「迪宮淳宮ヲ保育シテ善ク其誠ヲ竭(つく)セリ」と賞した。

 川村の死後、親王養育の重責を任されたのは、東宮侍従長の木戸孝正だ。安政4(1857)年生まれの当時46歳。維新の元勲、木戸孝允(桂小五郎)の甥(おい)で、木戸家の家督を相続し、明治22年から宮内省に出仕していた。なお、裕仁親王より2年早く生まれた長男の幸一はのちに昭和天皇の側近中の側近となり、終戦の聖断に向けて奔走することになる。

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