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【昭和天皇の87年】家族愛でも国民の模範に… 養育担当者の早すぎた死

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【昭和天皇の87年】
家族愛でも国民の模範に… 養育担当者の早すぎた死

画=井田智康 画=井田智康

 東宮医務顧問だったドイツ人医師ベルツの日記には、この頃の皇太子が両親王について「父親らしい自慢」をしたと書かれている。

 「全く自慢されるのも無理はない。二人とも立派な男の子だ。兄の迪宮(みちのみや)は二歳半、いくぶんお父さん似で、色もお父さんのように浅黒く、丈夫な坊やである。弟の淳宮(あつのみや)は一歳半、色白でほおが赤く、すこぶる美しい顔立ちの、とても可愛らしい子で、しかも歳の割には非常に利発だ」

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 一方、公私の別に厳しい明治天皇が川村の家を訪れることはなかった。すると川村はある時、両親王を連れて沼津駅へ行った。明治天皇のお召し列車が通るからである。

 明治35年11月19日《午前、(裕仁親王は)雍仁親王と共に沼津停車場にお成りになり、熊本県下における陸軍特別大演習の御統監より還幸(かんこう)途次の天皇に車中において御拝顔になる》(同37頁)

 この時の様子を、両親王の保母となる足立孝が戦後に回想している。

 「明治大帝が汽車で沼津をお通り遊ばすので、川村さんが皇孫さまについて停車場へおいでになったそうです。すると明治大帝はもともとお言葉の少ない方ですので、ただ、にこにこされただけでお言葉も何もないものですから、川村さんがとても心配されたんです。ところが、大帝はあとで女官に『きょうはうれしかったよ。皇孫を川村が駅まで連れて来てくれて、元気なところに会ってうれしかった』って仰せになりましたそうです」

 明治天皇もまた、両親王がかわいくて仕方なかったのだ。

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